家庭学習応援施設MyPlaceを立ち上げるに当たって7年半の教師生活はとても活きている。
僕は、子どもたちの『生活』をただ眺めることがある。
口も出さずに、ただ、眺めるのだ。すると、面白い発見をすることがある。『職員室』でも同じことをしていることがよくあった。何か仕事をしながら、ただただ他の先生の言っていることを聞くわけだ。
ある先生が言った。
「最近の子どもは本当に善悪を考える習慣が無い。」
僕は、なるほど。と思った。確かにそう感じることは僕にもある。
そこで考えた時に僕は、多くの『学校文化』に根付く過度な『校則』や『宿題』が原因の一部を担っているのではないかと考えている。
1.子どもは悪くない!
人間の脳は『効率的な方法』を見つけられるように賢く出来ている。
ただ、逆に慣れてしまえば賢さ故に、『思考』すること無くこなすようにもなってしまう。
もちろん、目的意識を持ってやっていることには前向きにどんどん新しいことを取り入れていく可能性を秘めている。
その反面、なぜあるのかもよくわからない『校則』や『宿題』で自分たちの『生活』を埋め尽くされてしまえば、子どもの『思考』はいかにこの状態を楽にこなしていくか。に行ってしまっても無理はない。守れる範囲で守っておいて、どうせ破ったって怒られとけばそれで終わりだしいいでしょ。物事の『良し悪し』を考えない生き方を知らず知らずのうちに推奨している結果になっても無理はない。
そうならないように問題意識の高い先生は何をするのか?全てに後付けで『意味』を伝えて、『意味があるから守ろうね。』としたって手遅れだと僕は思う。
『家庭』や『学校』でルールをガチガチに縛っておいて、「うちの子どもは全然自分からやらないから、厳しくしておかないと!!」と言っている話を教師時代たくさん聞いたけれど、僕は考えないレールを敷いているのだから当然だと思っていたし、そもそもそのやり方で何歳まで責任を取るのだろうと感じていた。高校生や大学生にもなって『規範意識』に欠ける人間が育っているなら、これはある意味『社会問題』じゃないかと思っている。
2.なぜ、無くならないの?
では、なぜ『意味をなさない(なさないことの多い)教育活動』は減らないのだろうか。
教師は本当に今の教育現場にある『校則』や『宿題』を全て正解だと思っているのだろうか?
間違いなく問題だと思っている人は存在している。僕は教師時代そういう意識を持って懸命に働く先生にわずかだが出会ってきた。
でも、先生だって怖いのだ。『何か』を変えてもし失敗したらその子の人生に取り返しのつかないことをしたら…真面目に考えるが故に怖いのだと思う。
そもそも『校則』や『宿題』の無い人生で育ってきた人が日本には少ないはずである。そんな中『現在の教師』の一存で『何か』をゼロにするなんて怖いのかもしれない。
人間は経験したことが無いことに対しては『必要以上』に悪い予測を思い描く。
その結果、『少しずつ』『緩やか』にを採用し、逆にコミュニティのいびつさに繋がっていることにも気づいていないことも多々あるなとも僕は感じている。
3.未来は無いのか?
では、『未来』は無いのか?と言うとそうでもない。
小学校にはたった6年、中学校にはたった3年しか通わないのに、『嫌々』通う、通わせる時代はすぐにでも抜け出す必要があると僕は思っている。
だからこそ僕は、『教育』に対して『建設的な議論』をしていった方がいいなと考えている。
まず、子どもがしなくてはいけないことは、
①相手に足をすくわれないために、『悪法も法だ。』と徹底して提示されているルールに従うこと
②相手の提示しているルールよりもより多くの人を救うことができるルールを諦めずに提案し続けること⇒もっと言えばそれで結果を出すこと
次に、親がしなくてはいけないことは、
①成績が人質に取られているという意識は捨て、今の社会に合った方法が採用されるように『意見』を伝えること
②『学校』がおかれている環境(社会的な立ち位置・財政的な状況・人手)と自分たちの『主張』がお互いマイナスが無いことであると冷静に伝えること
③言っても変わらない、諦めるしかないことと終わらせていることは、結果として『子ども』も見習う可能性があると自覚すること
僕は、『教育』で『社会』は変わると信じている。『建設的な議論』をすることは決して、『クレーム』や『文句』を言うことと同意ではない。諦めて陰口ばかりを言い続ける『大人』を見て育つ『子ども』に明るい未来は見えるのだろうか。正しく動けば『社会』は変わるんだと教えてあげることが『教育』だと僕は信じている。
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