『正解』を作る時代

教育

 1+1=?は何でしょう。
 みなさんは、こう聞かれたら迷わず答えを2だと答えられるかもしれない。僕らが『学校』で習って来た基礎的な『学習』というヤツはこうやってほとんどのことが『正解』か『不正解』でジャッジされる。もちろん、それについては何の異論も無い。
 ただ、こういう力に合わせて『正解』の無い社会を付き進めるためのパワーについては、子育てや教育を考える上では大切なテーマになってきているのではないかと感じている。

よく聞く『勉強』よりも大事なこと 

 「勉強よりも大切なことは山のようにある。」「勉強はまぁほどほどでも…」なんて話はよく聞く話だ。ただ、この意見には半分賛成、半分反対の気持ちがある。
 なぜなら、『学校で扱う教科の内容』という点においてのみ言う『勉強』は確かに生活にそのまま活かす場面は多い人ばかりでは無いだろうとは思う。
 ただ、一方で「学ぶことは一生し続けないと現代では生き残れないなぁ。」とも思っている。学校の勉強が嫌いでという子のほとんどが、じゃあ他に何に『没頭しているの?』と聞くと特には無いというケースがほとんどで、結果『何も残らない』となってしまっている子さえ目にすることがある。

 もう時代の正解を求めることができない

 多くの方々が声を大にしているが『学校』が良くないワケでは無い。
 日本において『言われたことをきちんとこなす能力』が求められた時代もあったし、そのおかげで成長した国であることは間違いない。僕らは『教科の上で扱う以外の歴史』にもきちんと目を向ける必要があるのだ。何の意図があって設定されているのかもわからない『ルール』に陰で文句を言いながら従う生き方では、『ことの本質』は見えては来ない。言われたことに従う生活様式が生産性を上げていた時代の終わりはもうとっくの昔に過ぎているのだ。
 現在のコロナ禍においてもこれは感じられる。今まで『正解』とされていたことがどんどん『社会の正解』では無くなった。これまで何十年続けていたことでも一瞬で変わるそういう社会がやってきているのだ。

だからこそ、『正解』は作ろう 

 僕は社会問題を斬る学者でも無ければ、大企業の社長でも無い。目の前の『子ども』と『親』を救うために働く『教育者』だ。
 だからこそそちらに向けて言いたい。気になることはたくさんあっても自分を『不正解』にしちゃいけないということを。
 例えば、学校に行きたいのに行けない。もそう。勉強が手に付かない。もそう。頑張ったのに失敗して上手くいかない。もそう。世の中は上手くいかないことの連続だ。だからと言って、それを勝手に『不正解』にして殻に閉じこもってはいけない。
 もう自分で『正解』を作っていける時代に入っているのだ。何よりも損してしまうのは勝手に作った『不正解』『行動』する『意欲』をへし折られることだ。とにかく『行動』しながら明るい気持ちで生きていれば絶対にチャンスは来る。だから、文句ばっかり言って自分を保とうとしていないで『行動』し続けて欲しい。

 どんなことでも視点を変えれば無限の可能性がある時代だと是非知って欲しい

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