僕たちはフリースクールの事業も展開しています。
僕は小学校で働いていたので、学校以外の学びの場に対しての知識は正直あまりありませんでした。
でも、インターナショナルスクールに在籍している子どもにも教科書が配られ、学籍が地域の小中学校に置かれるということに対しては何とも複雑な仕組みだなと思ったことがあります。
今日は、My Placeでフリースクールを始めたきっかけについて書こうと思います。
不登校支援ではなく「フリースクール」
僕たちは家庭学習応援施設My Placeでフリースクールプランを設定し、学校では無い学びの場を開設しています。
でも、決して不登校支援という意識では無く、あくまでも「学校では無いけれど僕らならこういう学びの場を作りますよ。」と小中学生にも平日の昼間に学びの場を提供しているだけのことです。
不登校については日本に、もう何十年も教育課題のひとつとしてあり続けるのでここで議論していてもしょうがないので、あくまでもMy Placeのフリースクールの根っこの話やどんな場所かについて書こうと思います。
あの子たちが笑えない場所が学校なら学校じゃなくていい
僕がMy Placeでフリースクールを始めたきっかけには二人の子どもとの関わりが影響しています。
一人は今年で22歳になる男の子で、もう一人は今年高校三年生になる女の子の存在です。
どちらの子も僕が昔、小学校で担任をした子でした。
どちらも小学校では、いつもニコニコ笑って一緒にふざけながら、僕が担任で無くなった年もたくさん話をした二人でした。
その二人が中学生になり、高校生になりしていくうちに行けなくなったのが「学校」でした。
二人共、共通して久しぶりに会った顔はとっても苦しそうで暗い顔をしていました。
決して誰か特定の先生や個人を責める気持ちはありません。
でも、あの子たちが行けなくなった理由には、教育の本質に関わる話では無い旧態依然とした学校文化に関わるエピソードがポツリポツリと出てきました。
「別に学校が世界の全てじゃないから。」
僕は二人にそれぞれこう話しました。
でも、僕らの繋がりは「学校」という場所で生まれました。
二人とたくさんの信頼関係を築いたのだって「学校」という場所でした。
僕は「学校」という場所で働くことは大好きでした。
僕は考えました。そして、一旦1つの答えに行き着きました。
きっと僕が学校で働こうが働くまいが学校の良さは消えていきません。
友だちと毎日会うことができて、新しいことが学ぶことができて、信頼できる大人に出会うことができる子どもは僕が学校を辞めたからといって決して消えることが無いはずです。
でも、それができなくなった子どもたちが「社会」と繋がるきっかけを全て失う選択肢しかないのなら、選択肢を1つ増やしたい。僕が学校にいた時に大切にしていたことを詰め込んだ場所を作ればあの子たちが「社会」と繋がるお手伝いができるかもしれません。
僕が学校を辞めて家庭学習応援施設My Placeでフリースクールを始めた根っこはこういう経験があったからなのでした。
問題は学校に行かないことじゃない
不登校の問題を語る人の中には学校が古いだとか、先生がいけてないだとか、子どもを守るためなのはわかりつつも誰かを責める方向性で主張する方にたくさん出会ってきました。
でも、誰かを責めたところで今まさに学校に行けないことで困っている子どもが学びの場が無いなら、そんなことに時間を使っている暇はないなというのが僕のシンプルな考えです。
僕は先にも書いたように「学校」という場所が大好きです。
もちろん、退屈だと思って過ごしていた子ども時代もありましたし、学校で働いていて納得いかないこともたくさんたくさん経験しました。
それでもやっぱり「学校」が大好きです。
理由は、3つあります。
①人と出会うのに効率的な場所だから
②新しいことが学べる場所だから
③新しい経験ができる場所だから
逆にこれがあるから「学校」が好きだったので、今のMy Placeという場所には何とかこういうエッセンスが詰め込まれるように工夫しています。
学校に行くか行かないかを議論して子どもが学ぶべきタイミングで学ばない、学べない状態を作るくらいならこういう要素がその子の周りに確保されているかを考えるのが良いのではないかなと思っています。
何を学ぶべきかもすごく重要
学校という場所はカリキュラムがきちんと決められています。
それがそのまま実生活に役立つものもあれば、学びの入り口に立つだけのものもあります。
国が決めたカリキュラムに沿って授業が設定されているという点ではそこに行けば効率的に多分野の学びが得られるという良さがあります。
でも、「学校」にいた時にこのカリキュラムがすごく窮屈に感じたことがありました。
もちろん、どの力も大切です。
知らないことを知る喜びやできなかったことができるようになる経験が子どもを育てることも重々承知しています。
それでもやっぱり、それぞれの子どもにとって一律同じスピードや方法で学ぶということが、多くの子どもたちの学力を奪ってしまっている状態を作っているのでないかと感じたことが何度もあります。僕が特別支援教育の知識を付けてからはこの考えは加速しました。
そんな経験をたくさんしてきた僕が考えた教育の場が「自分で自由に考え、行動する場所」だったのです。
僕は「学校」で働いていた時から「自由」を正しく子どもに教えることを大切に思っていました。
なぜなら、「自由」を与えると子どもは考えるんです。
「自由」とは決してカオスな無茶苦茶ではありません。日本で認めらた公共の福祉に反しない自由のことを指しています。
そのためにはコミュニケーションを取らなくてはいけません。コミュニケーションを取りながら考え続けなくてはいけません。
そして、必ず「行動しよう!」と子どもたちに言い続けています。
その表現だけでは上手くいかない子には、少しずつアイディアを提供しながら最後には必ず本人の決定で「行動すること」を求め続けています。
理由は実はシンプルなんです。
大人も含めて世の中にはたくさん周りに不満を吐きだす人がいます。
でも、そういう人のほとんどが自分では何も行動せずに他者を否定し続けているのです。
そういう人といても僕はちっとも楽しくないんです。僕は教育者として未来の大人を育てるお手伝いをさせてもらっています。それならば「自分で自由に考え、行動する人」が世の中に増えた方が一緒にいて楽しいと思うんです。
「あの先生の授業がわかりにくい!」ならば「教科書を読めばいい」わけです。
「友だちがなかなかできない」ならば「自分のことを知ってもらい、相手を大切にすればいい」わけなのです。
僕たちが作るフリースクールでは、中高生にこそこうしたいつでも、どこでも、いつまでも使えるような力にフォーカスして学ぶべきだと考えているのです。
遊んでもいいし、勉強してもいいと言われてちゃんと自分に矢印を向けて本当に必要なことを考えることができるのか?
まだまだ課題は多いと思います。
そして、言われたことをコツコツと従い続ける方がよほど楽だと思っています。それでも日々アップデートしながらより良いフリースクールを育てていきたいと思っています。
コメント