My Placeができるまで【後編】

教師

昨日の続きを書きます。

My Placeができるまで【前編】
家庭学習応援施設My Placeは学習支援、不登校支援、通信制高校など様々なサービスを提供できる教育施設だが、その根っこにある想いは至ってシンプルだ。そんな施設のビジョンに繋がるは話を書いてみようと思う。

モヤモヤが学校教育の限界点を明らかに

 僕には学校で働いていていくつかモヤモヤがあった。

・自分たちの勤務時間が明らかになっていないことによって、勤務時間に十分間に合う時間に出勤しているのに遅刻気味だと子どもや保護者に伝わっていること
・担任以外には相談してはいけないのでは?という遠慮から自分の中に悩みや困り事をため込んでいる子どもや保護者がいること
・新しいことが常に必要な職種なのに新しいことは全て時間外の仕事で学ばなければならなかったこと
・不登校になってしまった子に何もしてやれないということ
・特別支援的な配慮を提供することは権利として正しいことなのに、することが当たり前だという認識が広まらずぶつ切りの支援になってしまうことが多いこと
・子どもには『ここだ!』という助けて欲しい瞬間があるにも関わらず、行事や授業の進度、平等意識が邪魔してその瞬間を逃すことが多々あるということ
・その先生にはめちゃくちゃお世話になっているし、助けたい気持ちがあるから人一倍働いても逆に相手に申し訳ない気持ちにさせてしまっていること
・人手や予算は有限なのに『人手が足りない』が理由で多くの取り組みやアイディアが無に帰す瞬間が無数にあること

 ザックリ挙げてもこのくらいは思い付くくらいに頭の中はいっぱいだったが僕の視野、視点ではこれを解決するスマートな方法が見当たらなかった。もちろん毎日自分の目の前に居る子どもたちの姿を見ているとずっと見ていられるくらい楽しい。厳しく注意するようなことがあったとしても決して諦める気持ちにはならない。だけれど、上に挙げたような問題が解決しない限り、根っこは何も変わらない気がしていた。

舞い降りたアイディアは『プラスワン』

 僕が働いていたのは公立小学校であったので人手の基準は基本的に国や自治体が決めていた。学校の状況は考慮されずに決められている。だが、不登校や特別支援教育のケアをしようと声を挙げる度に多くの先生から聞こえてくる言葉は「人手が足りない…」という返答だった。これは民間で働いていたので僕には感覚的に備わっていた部分なのだが、人件費は一番のコストである。一人雇えば、税金や交通費、福利費、そして給料と一気にお金が吹っ飛ぶ。それを考えればそう簡単に人手なんて増えるはずが無いのだ。
 つまり、「人手が足りないから問題」は僕にとってやる気がありません。という返答にしか聞こえなかったのだ。
 そこで考えた。減らせる仕事は何か?無駄なことに時間を使っていないか?僕は不必要だと感じる仕事はどんどん減らすように動いた。少ない労力で少しでも子どもの支えになるような『情報』が残るようには出来ないかと必死で動いた。それでも問題は消えてはいかない。次から次へとどんどん見付かっていく。

 先にも書いたように僕が勤めていた学校は、学年に100~120人くらいの子どもがいる一律の小学校だ。良くも悪くも公立の小学校のスピードはゆっくり動くことが多い。それは慎重な判断とも言い換えることが出来る。一つの仕組みを変えようと思えば何年も掛けながら段階的にという発想はよくある話なのだが、子どもの『今』は待ってはくれない。6年もすれば子どもは卒業してしまうのだ。あっという間だ。

 そうした日々を過ごしているうちに僕はふと気が付いた。僕の生活は全部僕がやってのけているワケでは無いぞ。ということだ。子どもの成長のほとんどは奥さんや保育園の先生の手で支えてもらっているし、特別支援教育のことを学びたい時には『お金を払って』本を買っている。車が汚れれば洗車に行くこともあったし、先輩の教育実践はデータでもらって真似させてもらうことだってある。
 つまり、僕らはお金を払って誰かに『外注』し支えてもらって生活を維持しているのだ。

 要するに僕が『学校』を離れて「こんなサービス出来ますよ。」というものを作ってしまえば、困った人を支えることが出来る。子どもが、親が、そして先生が僕のところにSOSを出してくれさえすれば助けられる。僕が直接担任になったって最高でも40人しか救えない。それなら『教師』という仕事を離れて『町の教育屋』を作ってしまえば、オーダーメイドのサービスが作れるに違いない。そうすれば僕の判断でいらない仕事は削れるし、必要なところにサービスを届けられる。教師が本を買い、休みの日に研修に通い、身銭を削って教員免許の更新に行く世の中だ。民間の教育屋にSOSを出すことが許されないわけが無い。子どもたちの生活をより良くするために眼鏡を買い、防寒具を揃え、防犯用にブザーや電話を持たせることが出来るように手助けになる『アイディアや仕組み』を子どもや親が僕たちに求めてくれれば『学校』の人手を増やさずに僕が大好きだった『子どもとその家族と先生』を救えるんじゃないか?そう考えるようになった。

まだまだ『課題』は多いけれど…

 僕は7年半という長いような短いような『教師』生活を終え、今も『教育者』として生きている。毎日子どもたちに会い、お喋りをしたり、勉強をしたり、カードゲームをしたりしている。日々お家の人の悩み事や困り事の連絡を受けては自分なりに出来ることを提案したり、アドバイスしたりしている。そして、今度学校の先生に向けて勉強会をお手伝いできることになった。昨日はその資料作りで東京で体育科教育を専門に教えている方にアドバイスをもらうためZoomでお話をしていた。
 もちろんまだまだ救い切れていない子がたくさん居るのも事実だ。うちを辞めて行ってしまう子のほとんどは『受験もあるし、点数を挙げなければいけないので…』という理由がほとんどだ。僕が伝える『少しずつでも自分の意志で進むことが一生使える学ぶ力に変わるから!』という言葉はまだまだ受験戦争の点数のプレッシャーには勝てずにいる。僕に力が無いことで「うちの子には自由を与えてはダメな子なんだ!」という気持ちを増長させているならばそれは絶対に違うと言いたい。僕や僕の投げ掛けがまだまだ未熟でその子を大きく転換させるほどのパワーが伝わらなかったのだ。

 僕はまだまだ力が足りない。でも力が付くまでは黙っているなんて出来ない。子どもの『今』は待ってはくれないのだ。僕に出来ることは僕を信じて集まってくれた子やその家族、そして学校の先生に幸せになってもらうことだ。そのための方法は学習支援かもしれないし、不登校支援、通信制高校、特別支援教育、子ども食堂、居場所。僕がやれることは全部やる。いつかMy Placeの教育が『どの子にも意味のある人生のための教育施設だ。』と多くの方に言ってもらえるような場にするために今日もまた前を向いて進んでいこうと思う。

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