ある日のことだ。小学3年生の息子が真剣な顔をして質問してきた。
息「なぁ、のび太の先生ってさ、何であんなに怒ってるん?」
僕「いつの場面?」
息「テストとかで0点取った時とかあるやん。『バカもん!!!!』とか普通に怒られてるけどさ、あれ悪いん先生じゃない?」
どうも屁理屈で言っているわけでは無さそうだ。本人としては真剣に疑問に思っているようだ。
息「だってさ、わからないような授業して、のび太ってまぁまぁ宿題やってるやん。やらんかったら怒られてるし、それやのに出来へんねんで。どんな授業してるん?」
本人曰く、だいたいのことは授業で聞けばわかる。もちろん勉強が苦手な子がいるのもわかる。
でも、自分の担任の先生からは『出来ないこと』を怒られるようなことは絶対に無い。あんなに毎回0点とか取ってしまうのび太のような子をあの先生が怒ってる理由が全然わからない。と言うのだ。
なかなか面白いなと感じた。と同時に自分の教師時代のことを振り返った。
教育の責任は、絶対的に教える側にある。
何も知らない子どもに何とかして身に付けさせようと必死になる気持ちは大切だ。
しかし、その方法は無限にあるはずだ。その中の最適解を探りながら僕たちは『より良い学びの場』を育てることに真剣で無ければダメだと思う。
何度語りかけてもこっちを向いてくれなくても、自分の想いとは逆方向に進んでも決して『バカもん!!!』の一言で終わらせようとしてはいけないのだ。
もちろん、のび太は漫画の中の世界の人物だ。
でも、実際の世界にも同じようなことはあるのではないだろうか?
テストの平均点が低かったことにも、部活動の試合に負けたことにも、何度教えても同じことで間違う子どもたちにも、僕たち大人は本当に正しいフォローが出来ているのだろうか?
僕も昔、何度も宿題をやらない子に何とかしてやってくるようにと厳しく管理していたことがあった。
だが、結局は子どもをいくら管理したって何も解決はしなかった。
だけれど何年かした時に同じ子を担任した。
僕はどうせ管理したってやらない子はやらないんだからやろうとしている子に時間を使おう!と管理することをやめた時には毎日ほとんど忘れずに宿題を出すようになっていた。
意外と子どもにまつわる課題のほとんどが『安心』出来る環境を整えて待っていれば時間が解決してくれることが多かったりする。
「何度言わせるんだ!」
「いつも言ってるじゃない!」
「これで何回目??」
大人がついつい言いたくなってしまう言葉ではあるが、裏を返せば『何度も同じ状況を同じ対策で前に進んでいると勘違いしていることに気が付いていない』ということにならないだろうか?
今、世の中に出されている『緊急事態宣言』を受け取る国民ならこの話は納得感が大きいのではないだろうか?それを繰り返して疲弊する国民がどれだけたくさんいるだろうか?
もちろん、感染症自体を恐れるな。気にするな。と煽っているわけではないことは言うまでもない。
僕も『教育者』としてどうあるべきかきちんと考えるきっかけになった出来事だった。
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