レフェリーはなぜいるのか?

教師

 先週の土曜日、最近始めたクラファンのご縁で幼稚園時代に僕たちの先生だった方と再会した。

 会うのはもう何十年ぶりだろうか?僕は少しは大人になったと思ってもらえるのだろうか?と疑問もありつつ再会することにワクワクした気持ちがあった。

 久々と言うこともあり、楽しくお喋りしたことは言うまでもないのだが、その会話の中で改めて勉強になった話があったのでここにも書いておこうと思う。

審判の笛とカード

 実はこの先生というのは夫婦なのだが、奥さんの方が僕の担任の先生。旦那さんの方は、幼稚園に一人だけいるクラスを持たない男性の先生だった。

 二人とも幼稚園自体は僕らが卒園後に辞めていたのだが、その後旦那さんの方はJリーグで審判を務めていたのである。

 今でもレフェリーには関わっているようで今は若いレフェリーの指導者をやっているそうだ。その話の中でとても勉強になった話がある。

 「若い指導者の中にはレフェリーに渡された笛とカードをすぐに使いたがるヤツがいる。確かに僕らはカードを出す力を持っているんだけど、裁きにかけるためにいるんじゃないんだよ。ゲームのプレーヤーがより楽しく、いい試合をするためにいるんだよね。たまに熱くなって少し服を掴んじゃう選手が居たとしても、『掴まないでよ!』と一声掛けてやめるなら試合に支障が無ければ上手に流す。これが人間らしいレフェリングで僕は大事だと思うんだよね。」と教えてくれた。

 何だか自分にも似たような話が重なる気がして恥ずかしくなった。

 教師になったばっかりの3年間僕は必死に働いていた。

 僕が担任した学年の子どもたちは結構元気な学年でやんちゃをしている子も多かった。先生によって態度を変えて教室でも大暴れなんてことも平気であった。ただ、そんな子どもたちに『厳しく指導ができる』というところで何だか『評価』されている気になっていた。新任から3年間持ち上がり6年生の時にはずいぶん落ち着いたように見える学年にはなっていた。もちろん、個人個人で見ればまだまだ幼いかわいい子どもたちだった。だけれど、その掛け違いが大きくなることもあり、その度に僕の『厳しい指導』でおさめることもたくさんあった。その度に自分なりにはアフターケアをしていたつもりだけれど正直そんなことできたかどうかなんて誰もわからない。

 教師4年目になった時、初めて3年生の担任をした。

 その辺りから僕の中で『厳しさ』ではどうしょうも無い何かを感じるようになっていた。クラスの子どもたちはもちろんだが『我が子』に対してもそうだった。なかなか言うことを聞かないことに対するもどかしさ。それに疲れている奥さんへの申し訳なさ。色々な気持ちで悩んでいたあの当時僕に光をくれたのは『特別支援教育の視点』だった。

 多くの人は未だに『特別支援教育』は障がいや課題のある子に対する『対応』だと思っているがそうではない。どの子にとっても必要に応じて適切な配慮をすることが『特別支援教育』の意義だ。

 これはむしろ何でもかんでも機械的に裁きを下す白か黒かの視点では無く、『人間らしさ』の教育なのかもしれないなと思う。

 一声掛ければおさまることに一声も掛けずに叱るだけ、一緒に考えればすぐに解決することを子どもだけに任せてトラブった時に叱るだけ。こうした『教育』があるならば僕はそこに『人間らしさ』を感じない。

 改めて僕の周りにいる人たちのお陰で今の僕がまた一つ成長するきっかけをくれているなと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました