特別支援学級の担任だったころの話
これは、僕が特別支援学級の担任をしていた頃の話です。
その年、僕が受け持っていたのは8人。
「8人なら少なくない?」って思われるかもしれません。
でも実際は、全然そんなことなくて。
年齢も性別もバラバラ、得意なことも苦手なことも全然違う8人が、それぞれ別々の場所で、別々の学習をしている。
しかも、その子たちは「今日はこの授業」「今日は別の教室」みたいに、時間割がコロコロ変わるんです。
担任として、「今この子はどこで何をしてる?」を把握するだけでも、正直かなり大変でした。
「先生、わからん」が飛び交う毎日
そんな環境なので、あちこちからこんな声が飛んできます。
「先生、わからん!」「○○先生、来てください!」
これは決して悪いことじゃありません。
「できない」「助けてほしい」と言えるのは、大事な力です。
ただ、よく見ていると明らかにもうできることでも、同じように「わからん」と言っている子が多かったんです。
最初のうちは、「じゃあ一緒にやってみよっか」って声をかけていました。
すると、不思議なくらい普通にできる。
「できない」の正体は何なんだろう?
そこで、僕はちょっと考えました。
教え方が悪いのか?教材が合ってないのか?やり方の問題か?
いろいろ試してみたんですが、それでも「できない!」は減らない。
そんな中で、「もしかしてこれって、勉強の問題じゃないんじゃないか?」って思うようになったんです。
僕が立てた仮説はこれでした。
「できない」は、孤独感から来てるんじゃないか?
ただ「背中に手を置く」だけで変わった
そこで試してみたのが、すごくシンプルな方法です。
子どもの背中に、そっと手を置く。
それだけ。
僕が他の子を指導していても、背中に手が置いてある間、その子は「先生わからん」と言わなくなりました。
ただそれだけで、最後まで自分の課題に取り組むんです。
声かけも、説明もしていない。
ただ「ここにいるよ」と伝えただけ。
それだけで、子どもたちは落ち着いていました。
「教える」より「いる」が効く場面がある
そのあとも、いろんな場面で試しました。
・隣で教科書を指で押さえてあげる
・目を合わせて「読んでみて」と声を出させる
・少し近くに座る
それだけで、「全然わからない」と言っていた子が、普通にできることが何度もありました。
つまり、多くの子にとって必要だったのは説明でも、指示でもなく、安心感だったんです。
問題は、その先にある
じゃあ今、子どもたちの横に誰か「いる」んでしょうか?
正直、ずっとそばにいるなんて無理です。
学校でも、家庭でも、社会でも。
「僕がいるから大丈夫だよ」
なんて、ずっと言い続けることはできません。
日本は、
・クラスは多人数
・親は共働きが当たり前
・大人も余裕がない
そんな環境です。
「そばにいてあげることが大事」って分かっていても、物理的にできない人が多いのも事実です。
だからこそ、大人が無理をしすぎない
だから僕はこう思っています。
無理にずっと「いる」必要はない。
その代わり、
・自分が元気でいられること
・少し余白を作ること
・たまにでも「いるよ」と伝えられること
それを大事にした方がいい。
誰かが決めた「こうしなきゃ」「みんなこうしてるのに」そんな根拠のないルールに追い回されなくても、人生は意外とうまく回ります。
子どもにとっても、大人にとっても。


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