タイトル画像の『Zero塾』という文字、みなさんはどう“見る”だろうか。
僕には上手で正しく見える。
でもよく見ると、Zの終わりが「塾」の一部に食い込んでいて、厳密には「間違い」と言う人もいるかもしれない。
今日は、この「文字」と学校教育の話だ。
僕が信じる「文字指導」の在り方
いつも通り先に断っておくと、これは「僕はこう思う」という話で、誰が正しい・間違っているの勝負ではない。
ただ、少し前に目の前で我が子が漢字指導に苦しんでいたから、これはちゃんと書いておきたい。
みなさんも小中学生の頃、先生に字を直された経験はあるだろう。僕もある。
そして僕はいまでも字はキレイじゃない。
だから「お前が下手なだけやろ」と言われそうなので、今日は「国が出している方針」を材料にして進める。
使うのは2つ。
① 文化庁・文化審議会国語分科会『常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)』(2016)
② 『【国語編】小学校学習指導要領解説』(2020年度〜本格実施)
つまり、「社会はこう捉えよう」「学校はこう進めよう」と国が示したものだ。
公立学校なら、これが前提になって当然、という立場で話す。
① 指針が言っていること
超ざっくり言うと、こうだ。
「印刷の字と手書きの字には幅がある。根っこがズレていなければ、細部の違いで“誤り”にしないでね」
「令」の下を手書きで“マ”みたいに書く人がいるけど、どっちも間違いじゃない、みたいな話が分かりやすい例だ。
ここが、日本社会の「文字のスタンダード」として示されている。
要は、学校教育と社会生活をつなぐためにも、字形の判断を画一化しすぎないでほしい、というメッセージだ。
② 指導要領解説が言っていること
学校側の文章も、ざっくりまとめればこうなる。
「指導上、一定の字形を基準にするのはOK。でも、一生使うものだから、将来社会で円滑に運用できるように配慮してね」
つまり、教える都合で型を示すのはいい。
でも、その型だけが正義になって子どもを潰すなよ、という話だと僕は読んでいる。
そして僕が今、何を思うか
先輩教師から、こんな話を聞いたことがある。
「漢字の宿題は子どもの作品や。俺らが邪魔しちゃあかん」
だから隅っこに印だけ入れる、と。
分かる。
教育者には「間違いは正してやらねば」という正義感がある。僕にもある。
でも、「待つ」のも教育だと思う。
知識や技能は多いに越したことはない。
ただ、全員が、全部を、同じ速度で、完璧にできるべきかと言われたら違う。
毎日、精いっぱい書いた漢字を赤でズタズタにされ続けた子が、「今日もいい字を書こう!」って思えるだろうか。
血まみれのノートが育てるのは、上達じゃなくて諦めの方かもしれない。
僕だって、キレイな字の手紙は嬉しい。そこに人柄すら想像する。
でも「文字」も「話し言葉」も、上達のタイミングは人によって違う。
大切なのは、ここぞという時に丁寧にできる力であって、毎日「儀式みたいなダメ出し」で意欲を削ることじゃない。
漢字指導を熱心にする先生を否定する気はない。
ただ、子どもの意欲を削いでしまうほどの負荷をかけてまで、それを上回る教育効果が本当にあるのか。
そこは一度、冷静に見直していいと思う。
実際、うちの子の鉛筆の持ち方は一時どんどん歪んでいった。
「直されないこと」が目的になって、手首はガチガチ。姿勢も覗き込むようになっていた。
低学年は発達差が大きい。道具や環境を完璧に整えるのは難しい。
でも、すぐに用意できるものが一つある。
張りつめなくていい空気だ。
もし今日も、どこかで文字に泣いている子がいるなら、僕に手紙でも書いてほしい。
そこに「誰か」がいれば、文字は少しずつ良くなる。
少なくとも、「自分を嫌いになる形」で上手くなる必要はない。


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