1杯のコーヒーから考える『教育』

教育

 僕は先日ある動画を見ていた。

キンコン西野と学ぶ「コーヒー」
YouTube西野亮廣エンタメ研究所ラジオより

 何となくコーヒーは毎日飲むし、暇だったから見ていたくらいの感覚だった。ただ、そこには僕たちの毎日の『教育』にも言えることがたくさん込められていた。

決め手は『想像力』 

 これは是非みなさんにも動画を見てもらいたいのだが、コーヒーは僕らの口に届くまでに様々な工程を踏むそうだ。コンビニでは1杯100円なんかで十分美味しいコーヒーを飲むことが出来る。そこに至るまでの工程は凄まじく多い。
 僕たちが口に入れる頃にはずいぶんな手間が掛かっている。ただ、冷静に考えるとおかしくないだろうか?コーヒーはそもそもコーヒーの実の種から出発して加工されていく。もちろん人の手を介してだ。そうなると後になればなるほど僕たちの飲むコーヒーが高くなって当たり前なはずだ。なぜなら、みんな自分が生きて行くために『仕事』としてやっているからだ。
 でも、1杯100円だったりするワケだ。
 僕たちは直接見えてくるものばかりに意識が行ってしまいがちだが、たまにはふと足を止めて『考える』必要があるだろう。
 この『教材』は、僕らに何にどうやってお金を使うべきなのか。を教えてくれるかもしれない。

コーヒーが届くまでと『教育』が届くまで 

 動画の中には、「コーヒーが僕たちのもとに届くまでの工程がどこか1つでも良くないとおいしいコーヒーはできない」ということが語られている。
 僕は何となく『教育』と似ているなと感じた。
 僕が『学校』で働いていた時、6年生の子の指導をしていても「だって低学年の頃…」という不満の声を聞いたことがあった。人を傷つける言動を「親はそれで良いと言った。」と話す子がいた。自分たちと楽しく過ごしていた子が『問題児』として語られることがあった。
 『教育』には、たくさんの工程がある。学校教育、家庭教育、社会教育どれかが大切だというわけではなく。子どもにまつわる全ての『環境』が子どもの『成長』『発達』に繋がっている。たった1年しか関わりが無くたって僕たち『教育者』の責任は重大だ。それなりに覚悟を持たないといけないと思っている。
 だからこそ、僕は子どもに関わる全ての大人ときちんと手を取って、時にはそれぞれが上手にコミュニケーションを取りながら『チームワーク』を大切にした『教育』を実践していきたい。子どもは未来を支える大切な『財産』なのだから。

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