『教師』じゃないけど『教育者』

教育

 僕は、2019年11月に『教師』という仕事を退職した。
 学校での仕事は好きだし、子どもとふれあうことや『教育』について真剣に仲間や保護者と語り合うことだって大好きだった。いや、今でも大好きだ。

 でも、公立小学校で7年半働いてみて、自分が働くことに、本気になればなるほど自分や自分の家族を苦しめているような気持ちが生まれていた。
 目の前の仕事に努力をして誰かに「ありがとうございます。」と言われれば言われるほど、「認められてきたな。」という安心感と、「何で俺だけがこんなに仕事せなあかんねん。」という苛立ちが混ざったような気持ちに包まれた。そんなモヤモヤした気持ちに包まれて働く『背中』を家族に見せ続けること自体が嫌になっていた。

 「僕は何で『教育』に魅力を感じたんだったかな…」
 毎日の仕事の忙しさにこんなに大事なことを見失っていた自分がいたのかもしれない。

 僕は子どもの頃、『学校』がさほど好きでは無かった。
 何となく2歳年上の兄の真似をして『児童会』や『生徒会』でリーダーシップを発揮する立場に立ってみたり、そこそこ『勉強』はしてそれなりに良い『成績』はとっていたりはしたけれど、嫌いな授業や先生はたくさんいたし、別に『休み時間』や『放課後』だけを目的に『学校』に通っていたようなもんだった。
 中学校で始めた部活も1年の途中には辞めていた。気の合う仲間はどんどん辞めていき、相性の良くないヤツと一緒に過ごすことは苦痛だったし、何より厳しい練習に毎日耐えながら過ごす毎日が理解できなかった。

 何をやるにも中途半端というのはまさに僕の生き方だったと思う。別に『学校』の『先生』たちにたてついて反抗することもせず、都合のいい時に手を抜いて、自分が『楽するため』勉強なんかは少しだけ頑張る。けれど長くは続かないし、口だけはたつのでそれを『正当化』するような子どもだった。

 今思えば、高校を卒業し、浪人し、大学に入学するまで、自分から本気で何かに努力をしようと思ったことはさほどない。
 見た目としてはやっているフリをしていても大して続かなかったし、結果として言い訳しながら「楽な道」を選んできたと思う。それでも一応『世の中が用意した何となくのレール』に沿って生きていたような気がする。

 浪人までしたにも関わらず、そこまで大きな理由も無く『法学部』に入った。突然資格を取ろうと勉強した時期もあったが、そりゃもう長くは続くはずがない。心の底から本気になった『経験値』が明らかに不足していた。

 そんな自分を大きく変えたのは、大学生の時にたまたま第2外国語で勉強を始めた『ドイツ語』だった。
 英語の授業で散々打ちのめされていた僕は第2外国語を選ぶ段において「本場のソーセージを食べるためにドイツ語でもやってみるか。」くらいの軽いノリで受講を決めた。
 大学生活はとにかく自分のやりたいようにやろうと決めていた。『ドイツ語』はとにかくゼロから始めたこともあり、どんどんわかるようになっていった。するとどんどん面白くなって、「ドイツに行きたいな…」と思えるようにまでなっていった。『学ぶ』楽しさを初めて知ったのは、間違いなくこの時だ。
 ただ、ここまでやってきたのだから絶対にたった一人で行った方が面白いに違い無いというよくわからない自信から、僕は『ドイツに単身ホームステイ』をすることに決めた。
 とは言え、僕にはドイツに友だちがいない。親戚やつながりも一切なかった。僕にあるのは、突貫工事で取得した『ドイツ語検定3級程度の語学力』とそれまでに培ってきた『努力しないで結果っぽいものを出す力』くらいのもんだ。
 僕の解決策はこうだ。インターネットでドイツの大学を検索し、大学のそれぞれの連絡先に『私はドイツ語を学ぶ日本人で宿を探しているから手伝ってくれ!!』というメールを30校以上に送った。
 もちろん、すぐには何の音沙汰も無かった。ただ、ある学校がそのメールを大学の掲示板に貼ってくれたという連絡が来て、しばらくしてメールが届いた。そこから『ハンブルグ』の街に2週間滞在できることが決まった。

 僕は、この時くらいから『自分のやりたいこと』を真剣に考えるようになっていった。誰かに言われるアドバイスも大切だし、それを拾えるアンテナを育てる必要性は理解しつつも、それを活かすためには『自分のやりたいこと』⇒『自分らしさ』を育ててやらないと何も意味が無いということを身をもって体感している。

 その後、色々な経験を経て僕は小学校の『教師』になった。見本になる『経験』なんてものは全くない。偉そうなことは言えない。
 ただ、間違いなく言えるのは『学ぶ原動力』は自分の中にしかないということは誰よりも知っている。
 『学校教育』の中の全てのことが、全ての人に合った『学び』では無いと一番よく知っている僕が、伝えられること。それを伝えるために僕は『教育』の世界に飛び込んでいった。

 僕は今、『学校』での仕事を辞めて小さな『教育施設』を運営している。自分から子どもたちにあれやれ、これやれと叱りつけるようなことは一切していない。何か一つでもいいから『自分らしさ』を磨くことを応援し続ける形で僕は『教育者』として今も働き続けることが出来ている。
 まだまだ収入は決して高くは無いが、家族にじっくり時間を使うことの大切さ、それを作り上げるために自分が気を付けていること、そして、新しいいインプットをひたすら取り入れながら、形を変えながら子どもたちに伝え続けている。何よりも毎日『楽しく愉快な背中』を見せ続けていられることは、自慢できる。

 何のために『働く』のか?という問いに対する明確な答えをまだ僕は出せていない。ただ、『働く』ために『生きている』わけではないなということは何となく気が付いている。

 日本には、自ら命を絶ってしまった人、何かのきっかけで家から出られなくなってしまった人、そして、働き過ぎて命を落としてしまった人がたくさんいる。
 『教育』はきっと『明るく生きるための応援団』的な要素が必ず必要だと思っている。無駄なルールで縛り付けて子どもの『挑戦』を阻むものであるならば、それはもはや『教育』ではないとさえ思っている。
 のんびり『生きた』からこそ感じることが出来たものを僕が発信し続けることが、『せかせか』『コツコツ』を強いられているように感じる誰かの光になれば嬉しいなと思っている。

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