僕が『教師』に向いていなかった理由

雑記

 僕は、『教師』と言う仕事を辞めた。
 タイミングは、完全に体調を考えてのことだったが、その根っこにある『想い』は数年前から何となくは生まれていた。そんな僕が、教師をしながら「あっ俺きっと教師やってちゃいけないな…」と思う瞬間がいくつもあったので、今日はそれをいくつか紹介したいと思う。

 



理由①:誰にでも『平等』が理解できない

 僕は、誰にでも『平等』に接することが基本的には出来ない。
 我が子には、厳しく接してしまうし、相手が自分に興味が無いだろうなと感じたらこちらからグイグイ個性を出すことはない。
 中学生ぐらいから何となく「人を信頼し過ぎて傷つくくらいなら、相手の腹が見えるまでは自分を出す方が損」くらいに思って生きてきたので、恐らく驚くほどの『人見知り』だ。
 もちろん、サービス業や教師の仕事をしていて初めて会った人とも喋らないといけない機会は多くあったが、それは『仕事』だからと割り切って、相手が自分を『信頼』してくれているなと感じるまでは、すごく警戒しながら人と接するようにしている。
 ただ、逆に自分を本当の意味で『信頼』してくれている相手にはとことん付き合いたいと思っているし、助けたいという気持ちが強いのである。
 こんな自分の性格から、「担任だから…」とか、「卒業生だから…」とか、「その学校の子どもだから…」という理由で全ての子どもにいつもニコニコすることなんてできない。
 最初は、人間だから当たり前だくらいに思っていたが、違った。公立学校の教師というのは『全体の奉仕者』なのだ。
 つまり、僕の感じる『人間同士の付き合い』を持ち込んでいけば必ず『不平等』が生じるし、それは『教師』という仕事をやる上ではルール違反なのである。
 
 少し話は変わるが、僕は7年半働いた仕事であったが、担任をした学年はすごく少ない。
 つまり、毎日密に関わってきたのはほんのわずかな子たちだけで、あとは自分たちから寄ってきた子としか関わりは無いわけだ。
 ただ、学校で働くとそれこそこちらは知らなくても相手が知っていることなんてザラにあるわけで、僕は結構目立つ格好をしていることもあってか気軽に話しかけてこられることがよくある。
 ある時、僕が受け持った学年で無い子どもから
 「あっ俺先生のこと嫌いやってん!!」と中学生に話し掛けられたことがある。
 こちらは顔も名前も知っていたが、別にその子と関わる義理も無い。
 「残念やけど、それに怒ったり笑ったりする関係でも無いから話し掛けんでええよ。」の一言で会話は終了した。
 僕は別に担任をしたかとか、関わった学年だったか何て正直どうでもいいと思っている。それよりも子どもであっても、大人であっても『人を大切にする気持ち』がそこにあるかどうかで本気で関わりたいなと思うかが決まってくる。
 レゲエの文化の中で『Respect&Manners』という言葉をよく耳にする。
 僕はまさにこれが大切だなと思って子どもとも大人とも接することにしている。相手を一人の人間としていかに大切にできるかはとても重要だと思っていて、それこそ中身の無い『敬語』や『あいさつ』なんかよりそれの方がよほど一生の糧になると思っている。
 
『公務員』という『鎧』を着ていると相手にその辺の勘違いをたくさん生むことが多いことを経験した。ただ、それに腹を立てることも馬鹿らしいし、そのリスクがあるにも関わらず『教師』という仕事を選んでいた自分が完全に悪い。
 僕は、教え子であろうと無かろうと、卒業生であろうと無かろうと『Respect&Manners』を感じるヤツは大切にするし、それを感じないヤツが甘えて関わって来ても別に相手にするつもりは無い。
 連絡を頻繁に取るとか、会うとかそんなことはどうでもよくて一人の人間としてある意味正しく付き合うために『教師』という『鎧』は相手の勘違いを生みやすいなと感じたので僕は『教師』が向いていないなと思ったのである。
 教え子だからとか、担任だったからというだけで押し付けがましくマウントを取る気は無い。逆に、別に『想いや言葉の届いていない子ども』に優しくニコニコするつもりは無いし、そういう関係が一番人を育てないと思っている。

理由②:学習指導要領を読み解く力がない

 学校で『学ぶ内容』は、学習指導要領に定められている。かなり、抽象的な表現もあるが、すごく考えて作られた文書だと僕は思う。
 ただ、学校現場に出るとこれが結構ないがしろにされている現状に気が付いた。そもそも多くの『保護者』はその内容を知りもしない。だから、教師もあまり意識せずに取り組んでいる先生もいる。
 僕はこのことがすごく危険だと思い、いつも授業の全体を練る時には『学習指導要領』に戻ることにしていた。
 なぜなら、そんなことを教えないで良いのに何となく教えてしまえば、それは『教育』ではなく『洗脳』になってしまい兼ねないからである。
 だが、こうして僕は何度も『学習指導要領』を読み解こうとしていたのだが、僕にはいつも正しく読み解くには非常に時間がかかってしまうので「あぁ、これは僕には向いていないな。」と感じたのである。

理由③:『子ども』よりも『成長』に興味が出てきた

 僕は『子ども』が好きだ。
 別にかわいいだとか、純粋だみたいなよくわからない理由ではなく、関わり甲斐があるからである。上手く伝われば本当に『イキイキとした顔』を返してくれるからだ。
 ただ、『子ども』の場面、場面の姿に「いいなぁ。」と感じていた教師として最初の3年が過ぎた辺りから卒業生が、中学校で不登校になる話をよく耳にするようになった。
 どんなに小学校で『自分たちが正しい』と思う『教育』を展開しても、その子の人生はそこからの方が長い。
 スキルの高い教師なら『小学校』で教えたことを糧に一生『使えるスキル』を身に付けさせられるのかもしれないが僕にはその力が無い。
 僕は選んでもらえる人の『成長』に寄り添える仕事の方が自分にあっているなと感じるようになった。きっと小学生にも中学生にも、大人にも僕が伝えられることがあるはずだ。その『成長』に興味が出だした時、『教師は向いていないな』と感じ出した。

『教師』じゃないけど『教育者』

 僕は『教師』を辞めた。
 『教師』という仕事は、本当に価値のある仕事だと感じた。でも、それを扱いこなすスキルは僕には無かった。
 でも、そんな僕にも『人に何かを伝えられる』とまだまだ信じている。『教師』をしていて『伝えにくかったこと』を伝えられるようにまた今日も僕を信じてくれる人に向き合いたいと思う。

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