Reggae×教育【寿君編】Final

Reggae×教育

点よりも線に

 『教育』っていうテーマは、実に難しいなとよく思う。
 毎日なんとなく過ぎていく日々の中に特別な『点』を打とうと必死になって授業を作っていた僕は、それこそ夜遅くまで家族をほったらかして授業作りをしていたことだって何度もある。
 もちろん、そのことで自分の仕事に自信が持てるようになった部分があったことは否定できない。でも、きっとこれは自己満足の域を越えない。
 なぜなら、僕がなった小学校教員という仕事はどこまで突き詰めても12歳までの子ども、もっと言えば仮に1年生の担任を持つならば7歳の子どもに『点』を打って、その『点』が子どもたちの人生で役に立つものにならなければならないのだ。そう思った時、僕には『未来』を的確に捉える努力が足りていなかったなと痛烈に感じた。
 僕たち『教師』の仕事は、ただ単なる印象的な点を打ちにいく仕事であってはいけないのである。それよりも、特別な『点』を打ちながらも、その『点』を自分の力で『線』として結べる『人間』を育てなくてはならなかったのである。
 寿君と共に行った『授業』は間違いなく子どもたちにとって『特別な点』になったに違いない。だが、僕たちは自分の力で『線』に結べる力を育てることに力を注げていたのだろうか。と振り返ると僕の努力の向きはきっと間違っていたのではないかと思っている。
 僕は『教師』として働いたこの7年間でたくさんの『スゴイな!!』と思える先生に出会ってきた。その人たちはいつも目の前の子どものことだけでなく、その子の未来まで見つめているような気がしていた。公立小学校で働くという責任の重さを知れば知るほど感じていったような気がした。
 ただ、僕は楽しみでしょうがない部分も大いにある。世の中にプロのアーティストに生で歌を聴かせてもらえる機会を得る子どもはそうそう出会うことが出来ないだろう。ましてや、音楽の教科書に載っているような曲ではないReggaeという文化に出会える機会はそうそうない。そんな『特別な点』を結んで描かれる『線』がどんなに鮮やかなのだろうと期待する気持ちは止むことがない。

大どんでん返し

 寿君が学校に来てくれた時に歌ってくれた曲に『大どんでん返し』という曲がある。
 実際に来てくれた時には初めて聴く曲だったこともあり、子どもたちもキーワードで拾いながら曲の価値を感じているような様子だった。アップテンポな曲で多くの人を応援するような内容の曲だった。
 寿君が学校を訪れてくれてから、僕は子どもたちと40日間学校で過ごした。その中にもたくさんの思い出があるが、ここで語ることはやめておこうと思う。

 少し話題は変わるのではあるが、僕は小学校教員を辞めた今多くの卒業生に支えられて生きている。
 僕の人生を掛けた『挑戦』である今の仕事も支えてもらいながら今を生きている。僕が打った『点』が少しずつ『線』になり始めている姿を彼ら彼女らは見せてくれている。彼ら彼女らに僕を支えなければいけない理由なんて何一つ無い。でも、僕が教師として関わった『子ども』たちは、僕を一番支えてくれている『仲間』に変わっているのである。
 毎日のように笑ったり、遊んだり、怒ったりしていた『子ども』がみんなそれぞれの生活に『僕を支える』という何の見返りもない活動に力を注いでえている。何より嬉しいのは僕の細かな指示なんて一切待たずにそれぞれが思い思いの形で『助け』になってくれている。
 学校やバイトに忙しい子どもたちが『遊び』の1つとして僕を支えてくれているのだ。
 そして、ある子は今また『小学生』の時には感じていなかった感覚でReggaeを聴いていると話してくれた。11歳や12歳の時に打たれた『点』が18歳の『点』と結ばれているようである。

 2019年3月20日。僕の初任校での担任としての最後の子どもと関わる日。卒業式だ。卒業式は何度も何度も練習するので、無事終わったが、子どもたちへの『点』はまだ終わらなかった。
 卒業生を送り出す『門出の式』で『点』が打たれたのだ。
 子どもたちが卒業し、一緒に門を越えていく瞬間を彩る音楽は1つしかない。『大どんでん返し』だ。しかも、特別に寿君本人が子どもたちにくれたメッセージを添えて、子どもたちは多くの人の祝福を受け卒業していった。

積み重ねてきた 喜怒哀楽と 共に分かち合った時は
決して無駄じゃない ここまでの道のりを色付けて行く
何度でも譲れない願いを この音に乗せて叫ぶよ
つまづいたり転んでも立ち上がれ 靴紐を締め直して
大どんでん返しを

寿君 – 「大どんでん返し」 Music Video

 教師として勤めた最初の学校。本当に色々あった7年だったが、僕にとっても決して楽しいばかりではない仕事だった。何度も他の先生に噛み付いたこともあるし、管理職と大喧嘩って日だって何度もあった。何年も持ち上がったことが本当に子どもたちにとって『正解』だったかどうかはいつも悩み続けていた。
 だが、数々のアーティストが共に残してくれた『点』は決して子どもにだけ打たれたものではない。35歳になった僕にも未だにエネルギーをくれている。
 3人のアーティストと共に残した『財産』がこれからもきっと多くの『子ども』それを支える『保護者』そして、そのストーリーを知った全国にいる『誰か』に伝わって欲しいなと僕はこのブログを始めた。この活動が1人でも多くの人に広まり、この日本にまた似たような『経験』をする子どもたちが増えれば、『教育』がもっと楽しくなるのではないかと僕は信じている。

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