僕は2019年11月から教師の仕事を退職して今の仕事場である家庭学習応援施設My Placeの運営を始めている。学校を辞めると色々な声が飛び交っているのを耳にする。残念なことはこういう声は直接届くのでは無く、人から聞くことがほとんどだ。今日は少し想い出話を書いて僕が突然始めた今の仕事の根っこの話を書こうと思う。
充実した教師3年目まで
今から振り返ると恥ずかしいような『教師』だったが、毎日楽しく最初の3年間は過ごしていた。最初に任された学年は4年生だった。個性的な子も多く毎日色々なことが起こっていたが、ほとんどは一緒になって楽しんでいた。教師1年目から「僕はこう思います!」と偉そうに主張したり、教師2年目には県外の学校の研究大会に出張に行かせてもらったりと目の前にある『挑戦』っぽいことは何でもすぐに手を出していた。最初の3年間は同じ学年の子どもたちを持ち上がったこともあって子どもたちともお家の方々ともめちゃくちゃ仲良くなった。今でもこの頃からの繋がりのあるお家の子を預かったり、この学年の子がアルバイトに来たりとやはり僕の『教育』のルーツがここにあることは間違い無さそうだ。夜遅くまで家で仕事の準備をしていることもあれば、朝の4時頃から仕事を進めることもあった。
転機は4年目から少しずつ
何となく自分自身が取り組む『教師』という仕事に違和感を持ち出したのは4年目頃からだった。この頃から結構本格的に『特別支援教育』を勉強するようになった。勉強して色々な情報や知識を僕が得て行くに従ってクラスの、いや学年の何人かに対して「うちの息子と同じだ…」という感覚を持つようになった。上の息子は当時3歳だ。もちろん、話している言葉や学力は3年生なので3歳の子どもと比べ物にならない状態だ。だけれど友だちと関わって遊ぶ時や学校生活の至るところで見せる反応がうちの息子と似ていたのだ。そこで僕は徹底的に自分の子どもへの投げ掛けを研究するようになった。研修で習ったことをもとに自分なりに息子に投げ掛ける言葉や仕組みを変えてみる。上手く伝わったことは今度は自分の担任する子どもたちに転用する。すると見る見るうちに学年やクラスの様子が落ち着いてきたのだ。これは別に僕ら大人が何でもニコニコ優しく振る舞うとか、求めるものを下げるとかそういう類のことでは無い。徹底して僕ら大人の投げ掛けが変わるように仕組んだのだ。教師4年目のスタートは本当に僕自身勝負の年だった。持ち上がった学年を離れ、改めて知らない学年を担任することもあり、保護者理解がふりだしに戻ったこともそうだが、一番は学年最初の日に行った学年集会だった。突然立ち上がる子や教師の話を遮って喋り出す子などそれなりにスゴイスタートだった。
だが2学期に入る頃にはずいぶん状況も落ち着いて自分の中でも「やっぱり大人の投げ掛けが変われば子どもは変わるんだ。」と改めて実感していったのだった。
『特別支援教育』これがきっと僕の絶対の指針になる。そう感じるような毎日だった。ここでいう『特別支援教育』とは特別支援学級の子に対する教育という意味ではない。全ての子どもに対して行う教育の形のことだ。勉強すればするほど今まで自分や学校で当たり前としていた仕組みが多くの子どもたちにとって『生きづらさ』を生むようなことに繋がる恐れを感じるようになっていった。僕は『特別支援教育』の大改革を構想し始めた。どの子にとっても生きやすい学校教育の実現はワクワクするような目的になっていった。
誰のためにやってんだ?
こうしてどんどん働き出すと自ずと家でも働く時間が増えていった。ただでさえ忙しい日々に余分の勉強までするわけだ。仕事量が膨大に増えていくのも仕方が無いことだと思っていた。子どもも2人どんどん手が掛かる時期に差し掛かる。仕事以外の時間では出来る限り家事や育児もするように心掛けてはいたが、そもそも余分な時間が無い。夫婦のために使う時間も、家族のために使う時間も、子どものために使う時間もどんどん無くなっていっていた。そんな日々で学校の仕事はどんどん手ごたえを感じていった。『きちんとやれば変わる』毎日そう実感しながら学校では色々なことをやってみることにした上手く行かないことはすぐに修正。上手く行きそうなことはどんどんやってみる。
この頃の僕はある意味今とは随分違っていた。働き方を変えない先生たちに対して嫌気が差していた。この辺は僕の当時の未熟さから来るものなので今はそんな風に思っていないのだが、この頃は違った。「この仕組みさえ変えれば秒速で変わることを何で変えないんだ。」そんな風に想いながらいつも『より良い教育の形って何だ?子どもや親の為にはどうすればいいか?』という問いを繰り返していた。周りに対しての不満も都合の良い時だけ味方みたいな態度を取る人に対しても苛立っていた。そうしたストレスは家族の生活にも伝わっていった。
ふと冷静になって考えた時に気が付いた。
「僕は一番大好きな家族の為に何が出来ているんだろう?働く目的ってなんだ?今やっていることは本当に正解か?」僕の中で疑問が生まれた瞬間気が付いた。「僕はもうここに居てはいけない。」僕は『教師』では無い仕事を始めようと心に決めた。
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