教師であった自分の『負債』

教師

 僕の『教師』としてのキャリアは7年半だ。
 7年と言うと決して短くは無い気はするのだが、問題は受け持った学年にある。
 最初に教壇に立ったのが2012年。
 トイザらスを退職し、教員免許を取得し、大量採用の波に乗ってすんなり採用され、スタートしたキャリアだったが、正直『教育』については右も左もわからなかった。今思うと本当に恥ずかしい話だが、『勢い』『情熱』で毎日楽しく過ごしていた。
 最初の1年は正直様子を見ていた。自分なりに試行錯誤すると言っても自分の意見の半分も言わずに毎日を過ごしていた。最初は、見張り番のようにベテランの先生に見守られる日があったので「うわぁまたこの日か…」と思いながら出勤していたのを覚えている。

 ただ、そんなある日。学校全体がバタつき出したことを『きっかけ』に僕の教室に指導に来る先生が違う学年の応援に行くことになり、一気に自由になった。その辺りから教師用に作られた『指導書』に書いてあることを参考に自分で授業を作るようになった。知らない人も多いかもしれないが学校の教科書っていうのは、教師用に全授業をカバーして授業の流れまで書いてくれている『指導書』というものがある。教科のプロが作っているので参考にはなるが、ここから抜け出さないことにはワクワクするような授業は作れない。多くの人がゾッとする話かもしれないが、学校教育の指針である『学習指導要領』は読まずに『指導書』のコピーを繰り返して教壇に立っている先生も結構いるのだ。
 そんなこんなで最初の1年の途中頃には僕は、信頼できる先輩に聞きまくって『自分なりの授業』を子どもの様子に合わせて繰り返していった。子どもたちとの距離もどんどん縮まっていく。
 ただ、ふとした時に気が付いた。「あっこの子きっと僕のこと嫌いだ。」
 
 正直仕事なのでそんなことは気にしていられない。必要な関わりはしなくてはいけないし、良くないことをすれば注意だってする。ただ、それが空を切っていたことには何となく気が付いていた。
 自分の想いを伝えれば、何人もの子が少しずつ『表情』を変えてくれる。そして、少しずつ『行動』が変わっていくことに喜びを感じていた。そのまま僕はその学年を3年持ち上がり卒業まで担任として過ごしていた。ありがたいことに3年目である6年生の担任をする頃には学年の先生たちと良いチームを作ることが出来ていたこともあり、学年の子どもたちを特別支援学級の先生も含めて5人で支える風潮があったことにより、色々な『個性』の子たちを認め合える雰囲気がそこにはあった。

 ただ、その子たちが中学校に行った時に、あることが耳に入ってきた。
 中学校での『不登校』だ。何時間にも渡る中学校への引き継ぎも意味をなさず単なる『厳しさ』だけの『学校運営』に苦しんだ何人もの子どもたちの声を耳に当時は『怒り』を覚えたが、正直僕が間違っていた。

 『子どもと繋がること』を追求していた自分の最もよくない点はここかもしれない。小学校がどれだけ楽しくたって、その後、中学、高校と進むにつれてそこには『僕』はいない。
 何年も会っていなくたって『教え子』と話すと「あぁ、変わっていないな。」と感じるが、ちゃんと『僕らのいない世界』で成長していく力まで渡せていなかったことを感じる瞬間が時々ある。

 その反省をいかしていこうと次の年からはすごく気を付けていた。
 個の繋がりは保ちつつも、『子ども集団』の中に出来る限り『僕』の存在を消す努力をした。子どもと一緒に『遊ぶ』教師が良い教師とされる中、盛り上がり出したら徹底して姿を消すようにしていた。僕は徹底的に『きっかけ』になる努力をした。その子に付いて回っておんぶにだっこで責任持って卒業させます。なんてことが『無責任』な行為だと気が付いたのだ。それでも、次に担任した学年も3年間担任をすることになった。間に1年だけ特別支援学級の担任をさせてもらったが、ほとんどはその学年と過ごすことになっていた。

 「この学年は池田先生しかいないんだ。」なんて期待をかけるように言われたって僕は嬉しく無かった。それは『子どもの成長』をないがしろにしている僕への『悪評』でしかなかった。
 一緒に過ごせば過ごすほど、言いにくいことは言わずに過ごすことができる。最後の1年なんてそれまでの1年間の中で一番『注意』の少なかった1年だったろうし、逆に、子どものことがわかるが故、指導する時にはズバッと言いたいことが言えてしまう。子どもにとっては『わかりやすい状態』があったのかもしれない。

 ただ、重箱の隅を楊枝でほじくるような『学校教育』の枠の中では、これを『学ぶ機会』を作りづらいなと感じ、僕は自分なりの『教育施設』を立ち上げた。うちに来ている子はどの子も素直な子たちだと心底思っている。それでも、最近「言われるまでは気が付かない。」子の存在が目立って来ている。もちろん、口では伝えるが、『行動』に起こすのは本人だ。しかし、多くの子にとって『行動』に動かすガソリンは『怒られること』になってしまっている。最悪怒ってくれるからと言う安心感を僕自身が生み出してしまっているのかもしれない。

 世の中は、甘くはない。子どもたちの生きていく『社会』は怒ってくれない『社会』だ。下手に怒ってパワハラ、体罰、セクハラと騒がれでもしたら厄介だからに違いない。それでも気にせずなんて言っている人もいるが、大人になって突然『人間関係』を築くことなんて難しいわけだから『怒って育てる』はもうオワコンだ。
 間違いなくこれからの時代は『行動力』に価値が生まれる。自分で考えて動きまくれる人間にしか優しくない『社会』が待っている。それでも『自由』の使い方を知らない子どもたちは手に入れた『自由』を無駄にしてしまうことに気が付かないことが多い。

 僕が『学校教育』の中でしょうがないだろうと思いながらやっていた『正義』が今の僕を苦しめている。もう僕は、あれこれ尻を叩いて子どもに気が付かせることはやらない。それは『教育』ではないと気が付いたからだ。でも、自分のしてきたことが『負債』となって今目の前にいる子たちの『甘え』を生んでいることもまた事実だ。
 良い伝え方を探してこれからも精進したい。

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