家庭学習応援施設My Placeを立ち上げる時、僕はまだ精神的に不安定な状態にあった。でも、家庭学習応援施設My Placeを開設してから微調整はあれど絶対に曲げていないことがある。
それは、「しっかり遊ばせる」ということである。これは教師の時からずっと思っていたことなのできっと今後も揺るがないだろう。今日はなぜ僕がここまで遊びにこだわるかを書いてみようと思う。
1.遊べる子は学ぶ
現代の子育て・教育で多くの方が悩んでいることに「インターネット・ゲームへの依存」がある。具体的な経験が不足している幼少期にあれだけ刺激の強い上に、便利で簡単に扱えるツールを目の前に置かれたらハマってしまうに決まっている。これは小学生であっても、中学生であっても同じだと思っている。僕たちはデジタルネイティブの子育て・教育をきちんと考えるべきタイミングに来ていることは間違いない。
最初に線を引いておきたいが僕が遊びと指しているのは、「子どもたちにクリエイティブが許される余白があり、それを活用しているか」が確保されているものを遊びと指している。例えば、テレビゲームであってもマインクラフトで回路を作ったり、建築したり、アートを作ったり、コードを書いたりは遊びだが、目的も無くひたすらゾンビを倒すは、僕の今話している遊びではない。
さて、前提条件を揃えたところで、僕は公立小学校で7年半、民間施設で2年強教育の仕事をしている。それなりにたくさんの子どもと一緒に過ごす経験をしている。そこで見つけた特徴として遊びの上手い子は学ぶというものがある。
遊びというのは基本的に主体的にするものだ。そして、楽しむためにするものだ。だから、自分の行動を自由に選択する必要が出てくる。自分で行動を決定する必要があるので計画力が身に付く。つまらない準備に時間を掛けていたら楽しめないからだ。そして、同じことを繰り返していたら飽きてくる。飽きたらどうやったら楽しくなるかを考える。つまり、思考力が身に付くわけだ。そして、一人でつまらないと感じたら友だちを誘うだろうし、友だちと一緒に過ごしていれば、コミュニケーション力、合意形成を図る能力、多文化理解、説明する力などなど盛りだくさんの力が獲得できる。こうした力をとことん身に付けて育った子は、成長していくと次第に欲が出だす。「もっと知りたい。もっと詳しくなりたい。人よりもっと上手くなりたい。」この欲が間違いなく学ぶ力へと変わっていくのである。
こうした力が自由に遊ぶことで身に付くことが分かっているのに、何年生だからこれだけは!、受験があるからテストがあるからと無理やり机に向かわせたって僕の目の前以外では絶対にやらない。僕は今まで何度もそういう子を見てきたし、受験やテストでの成果で人生が上手くいくほど甘くないと何度も感じてきたので今の仕事では「しっかり遊ばせる」をテーマに持っているのだ。
2.学ばないよりも怖い無気力
とことん遊ばせた子が少しずつ学びの世界へと足を踏み出す姿を僕は何度も目にしている。昨日も中2の女の子がうちの施設に来た当初よりもずいぶんテストの点数が上がったことを報告してくれた。僕はじゃあその子にしたことは何か、近況の雑談とその日に何をするかを聞いて、質問されたら答えるくらいのものだ。では何が彼女の学力を上げたのか?話を聞いてすぐにわかった。仲の良い友だちと一緒に勉強したり、質問したりするやり取りだ。そして何より彼女は楽しそうにしていた。
彼女が最初に僕のところにやってきた時は、「全然勉強をしない!やり方がわからないと言う。」と相談を受けたが、別に僕はノウハウを厳しく教えたワケでも無い。彼女に自由を与え、困った時に助けただけだ。点数が上がったことよりも彼女が学ぶこと自体を楽しんでいるということが大切だと感じている。
「勉強を全くしない!」という子が学習塾に行ったら点数が上がったと聞くことがあるが、僕はそれについていくつか疑問がある。点数が上がったは定期テストなのか、模試や過去問などのテストかによって大きく違うし、そもそもその子が点数を取れるようになったは記憶力の扱い方が身に付いただけかもしれない。大切なのは勉強が好きになっているかどうかじゃないかと思う。決まったことに正しい答えを出すことが得意な子はテストで点数を取りやすい。ただ、一番怖いのは学ぶことが好きだという状態が無い子だ。
僕は勉強が嫌いと何とかして逃げ続ける子を見ていていつも思うことがある。勉強をしないことよりも、はっきりと好きなことが作れていないことや色々なことに興味を持つエネルギーが無く無気力であることの方がよっぽど怖いなと感じている。
そんな状態の子の時間を嫌々通わせて勉強時間に当てったって将来的に何に役立つのか僕にはわからない。
3.大切なのは遊びとおしゃべり
遊びについては上で定義したのでおしゃべりについても定義しておきたい。僕の考えるおしゃべりは「バーバル、ノンバーバルを含んだ能動的なコミュニケーション」のことを指している。オンライン、オフラインは特にこだわりはない。
僕は遊びにこだわりを持つ一方で、それについておしゃべりすることも大切にしている。お絵描きしている子を見れば何を描いているのか聴きたくなるし、ボードゲームが盛り上がっていれば一緒になって遊ぶ。最近は、我が子を始め何人かの子どもたちが必死でゴム鉄砲を作って遊んでいるのでその輪ゴムを拾い集めてはそれぞれの作品の出来を聞いて回っている。
「うちの子遊んでばっかり何です……」という悩みをよく聞くが僕は個人的に問題ないと思っている。ただ、欲を言えば、遊びで起きたことを言語化する習慣は付いていればいいなと思っている。どんなことがあって、何が楽しくて、これからどんな風になりたいのか。遊びの楽しさを周りの大人も一緒になって共有する文化が広がればもっと日本の教育は面白くなると僕は思っている。
良くも悪くも日本人は真面目だ。これは文化的な背景、特に歴史的な背景が大きいと思っている。だけれど、現代社会は毎日新しい技術や情報に溢れ、可能性にも満ちている。これからも「遊び」を真ん中に置きながら学び続ける人を育てる教育を実践する場を作っていきたい。
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