働きすぎで働けなくなる先生たち

教師

 僕は教師としての7年半働いた。7年半という期間は、新卒で入社して、定年まで働くことが『常識』『美徳』とされていた時代から考えると決して長い期間では無い。
 ただ、その7年半でも見えてきたものは多くあり、今日は『教師の仕事と労働時間』というテーマで思うことをまとめていこう。

1.教員の変形労働時間制が閣議決定

 2019年の10月18日、教員の働き方改革に繋がることを意図して、教員の労働時間を年単位で調整できるようにする「変形労働時間制」の導入を盛り込んだ教職員給与特別措置法の改正案を閣議決定された。という発表があった。
 要するに、教員は残業時間が多いけど、年間通して同じスケジュールでは働いていないことが多いから、夏休みなどの子どもが登校していない時は、就業時間を短く設定し、長期の休暇を取りやすくして、その分を準備や成績処理で忙しい時に回し、労働時間を引き上げて残業にならないように工夫出来るようにしましょう。ということだ。
 ただ、この辺りの考えが現場の考えや実態と少しズレがあり、『不安』な事態を予測している人が多いようである。
 僕自身は、フリーランスとして『教育』に携わっているので直接は関係ない話であるが、『自分の経験』に重ねた時、これを機会に学校教育は大きな改革を進めていかないといけないのではないかと感じている。

2.教員の変形労働時間制が生み出す『不安』

 教員の仕事というのは、本当に多岐に渡っている。
 子どもや保護者にとって一番よく見える部分は始業から終業までの時間だろうが、その時間の仕事というのはあくまでごく一部である。
 僕の働いていた職場で考えると毎朝8:20が出勤時刻だ。
 だが、子どもたちは7:50頃から登校し始める
 では、その間の30分に大人が誰もいない時間だと認識して保護者は送り出しているかと言えばそうではない。
 そして、低学年は14:25に、高学年は15:15に授業を終え、その後、帰る準備や連絡をして帰って行く訳だ。
 しかし、僕たちの勤務終了時刻は16:45だ。授業が終わって子どもたちが帰るまではどんなに早くとも15分はかかる。
 残された時間は1時間15分だ。
 ちなみに、僕たちの勤務時間は7時間45分だ。8時間を越えないというところがポイントで休憩時間が45分で済む計算になる。
 そして、僕たちに振り分けられた休憩時間は子どもたちの昼休みの真っ最中である13:05からと終業後の放課後に振り分けられている。
 つまり、普通に安心して休憩なんて取れない時間設定で進んでいる
 余談ではあるが、僕は今までの仕事で『休憩時間』をきちんと取ったことがない。12時から13時は休憩時間です何て言えずにとにかく働かなくてはいけない環境に追いやらずには利益を生み出せないようなサービス業であれば納得はいくが、教師にはそもそも『休憩』できる環境が整っていなかった。
 では、これを学校という公のサービスを利用している人たちにアナウンスがされているか。もちろんされていない。
 こうして、教師はたった1時間程度の残された時間で、授業の準備や成績処理、行事の打ち合わせや子どもの対応、保護者からの相談を受ける。中学校なんてこれに部活動の顧問なんかが重なる。ここに学年での話し合いなんかが乗ってくるとももはや定時退勤なんて工夫しないと出来やしない。
 しかも、現代における教育に関わる考えや研究は日々新しいことが言われており、長年の経験だけでは通用しないケースだって生まれている。

 もちろん、僕は昔は民間企業で働いていたので、労働時間が長いことや残業代が出ないことなんて世の中には驚くほどたくさんあることは知っている。
 だから、そういう社会の人に支えられて税金で飯を食っているんだからしんどいのは当たり前、我慢しろよ!という考えはとても乱暴だと思う。

 さらに、僕らが真剣に考えないといけないのは、普通に何の工夫もせずに働いている教員がいたとして、この時間設計に従い、新しいことを学び、育っていく時間が取れるのかということだ。
 僕自身は、決して能力の高い教師では無かったので、新しいことを学ぶ機会は全て勤務時間外に行っていた。
 『特別支援教育』についての知識は何冊も本を読んだし、子どもを観察した。『体育科教育』に関しては先輩の書いた論文を読んだり、研究授業を提案したり、本も何冊も読んだ。
 どれも、日が変わるまでやることなんてしょっちゅうだった。
 ある意味その時間があったからこそ、それなりに議論や発信ができるようになったのだが、あくまでもこの『成長』は仕事をしながら身に付けたものではない
 公立小学校というのは、その地域に住んで行きたいと思えば基本的には誰でも行ける訳だ。
 小中学校に関しては、義務教育と言われている。
 しかし、子どもは、住んでいる地域によって行く学校が決められているし、先生だって選べない。
 この労働環境で何とか時間をやりくりして生活をしている先生が新たなことが学べなくて、世の中の人たちに『不勉強な先生』として斬られるのは納得がいかないし、逆に本当に『良くない働き方』をしている教師がいたとしても、「こんな労働環境なんだからしょうがないでしょ。」と逃げ道を作られても困る。

 『教育』は未来の子どもを支える、社会として大切なサービスだと僕は思っている。
 だが、この質が下がっていく可能性がある部分に関しては『教育者』以外の人も巻き込んで真剣に知恵を絞っていく必要があるのではないかと感じている。

3.考えたい教員の労働環境

 『学校』や『教師』にまつわる問題も全てではないが、こういった学校教育全体の労働環境が影響していると僕は感じている。
 僕が作ったMy Placeという場所も、今後学校の先生ともつながりたいと思っている。僕が7年半内側から何度も声をあげても伝わらなかったことを今度は外側から広く発信してみんなで『教育』についてもう一度立ち止まって考えてみたいのである。
 そして、僕たちが今後考えるべき『教員の労働環境』は以下の通りである。

①慣習的な学習活動や教育活動を見直す
 時間が減らせるものやそもそも時間は係るけれど効果の少ないものを減らす
②行事をシンプルにする
 学校行事がかなり見栄え重視になっているので、練習時間や教師の準備時間の少なくて済む方法に切り替える
③テストを厳しくし、逆に宿題はなくす
 宿題を管理する時間があまりに多い。きちんと結果と向き合う文化を定着えることで教師の管理時間を減らし、子どもが主体的に学ぶ機会を増やす
④教師のインプットに割ける時間を増やす
 事務作業などは短期の職員でも十分可能であるし、そもそも意味を成していない事務作業を削減することは可能なので、そこを新しい分野が学びやすい環境に変える

 ただ、これを実現するためには、大きな変更をかけてでも『学校をよくしていきたい!』という学校側の確固たる信念を子どもや保護者に伝えていくことが大切だと考える。何かあってからの説明責任なんてきっと多くの人はもとめていないはずだ。今後は、相手の見えない部分に意識を回せる本当の意味での『優しさ』が絶対に必要になってくるに違いない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました