『支援』って何だ!?

教育

僕たちは日頃の活動で『支援』という言葉をよく使います。フリースクールでは、『不登校支援』という言葉を使いますす、放課後等デイサービスや保育所等訪問支援では『障害児通所支援事業』というカテゴリーに属します。放課後の活動は、『居場所支援』や『学習支援』というように表現することがあります。ですが、最近この『支援』という言葉に違和感を感じるようになっています。

では、辞書的な意味を整理します。広辞苑を調べると……

ささえること。援助すること。

し‐えん【支援】‥ヱン – 広辞苑無料検索 (sakura-paris.org)より

こうして考えると、恐らく僕らの使っている『支援』という言葉も決して間違ってはいないようです。ただ、3年以上僕はこの家庭学習応援施設My Placeという場を経営してきて見えてきたものから、この『支援』という言葉の重みを知ることになりました。

僕は経営者という立場を執らせてもらってはいるものの教育者として子どもと一緒に生活することは今も毎日続けています。法人全体のことを考えると僕はもっともっと対外的な活動に力を入れないといけないことは頭では理解しているのですが、どうしてもそれを後回しにして子どもたちとせっせと遊んで、話して、笑って過ごしています。
そんな日を続けている中で、学校に行かないことを選択していた子どもであるきっかけで学校に行くようになった子どもの一人が言いました。「自分はもう支援される対象では無いので……」僕は少し迷いました。この言葉をこの子の自立の表われと取ることも出来ます。少しずつ自分の道が見えてきたからこその大切な一歩とも取れます。でも、何だか違うなと思ってしまいます。

僕の何となくの印象ですが、多くの人にとって『支援』というものは強いものから弱いものへの施しのようなイメージを持つ言葉になっていることがあるようです。大人だけでは無くて子どもたちにもそういうイメージを持っている子が一定いることをこの仕事をしていて気づきました。

でも本当にそうなのか?と思うことがあります。
僕は今僕の目の前に通ってくれる子どもたちに救われることがたくさんあります。想いが伝わらないことも良い手助けが出来ずに終わることも多々あります。それでも子どもたちと一緒に大笑いしてスタッフと色々な想いを共有して少しずつ自分の目の前の世界が変わることを願って働いているととても『支えられている』気持ちになります。僕たちのする『支援』のお仕事は一方で僕たち大人を『支援』してくれているのです。

この世に助けられる側の人間、助けられる側の人間を作るような『支援』は本当の意味での『支援』ではないのだと思います。その意味では僕の大切なこれからのお仕事として『支援』とは一体何なのかを多くの人に正しく伝えることなのかもしれません。あまり堅くは考えずお互いが責任のある自由を楽しみながら生きる。そんなロールモデルをのんびり作っていけるように今日もせっせと遊ぶように働きます。

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