僕は、教師を辞める前に適応障害という心の病気がきっかけとなり退職した。たくさんの子どもたちに突然の環境の変化で驚かせてしまったことは事実であり、今でも申し訳無かったなという気持ちがある。ただ、僕の気持ちの中で本当に守りたいものを考えた時に、最終的には『自分を守る』という決断をすることができた。今日は『自分の心を守ることの大切さ』について書こうと思う。
死にたくない
僕が退職したのは、教師を始めて8年目の年の途中だった。
その年、僕は異動して新しい環境で働いていた。クラスの人数は30人いかないくらいの少人数。子どもの迎えにもすぐに行ける場所。異動してすぐの僕は学校全体から受ける仕事はほとんど何も無かった。前の年と比べて圧倒的に業務は楽になっている。前の年は41人の担任をして学校全体の仕事もこなしていた。体への負担は間違いなく新しい環境の方が負担は少なかったと思う。それでも僕は2学期の3週目、仕事に行こうとすると動悸がし、体が震え、仕事の準備をする気持ちになれなくなっていた。僕はすぐに気が付いた。「あっ心のSOSだ。」
以前にも書いたが、僕は教師を辞める前突然声を失ったことがある。
なのですぐに病院に行った。とにかく今は休みなさい。というアドバイスと共に僕の教師としての生活はそこで終わった。
きっと無理やりにでも学校に向かっていれば働けたかもしれない。きっとこういう辛さを抱えながらも無理やりにでも働いている人は世の中にもたくさん居るかもしれない。もしかすると自分は弱くて無責任なのかもしれない。そういう気持ちが浮かんできたことも事実である。
でも、僕は仕事を休むとすぐに判断することにした。
理由は簡単だ。『死にたくなかった。』からだ。
声が無くなったあの日
僕は声が出なくなったあの日何度か「死んだらどうなるか?」みたいなことを考えたことがある。はっきり言って僕の精神状態はあの時おかしくなっていた。でも、そんなことに自分がなるなんて考えたことも無かった。多くの人が自分で自分をコントロールできなくなるなんて想像できないかもしれない。
でも、僕は当時「まだまだ若いし、奥さんだって新しい人生をきっと歩んでくれるはずだ。」と思った瞬間があった。そういうグラグラした気持ちの中で毎日を過ごしていた。
ただ、僕はこの経験を経て、『僕の心は決して強くない。』ということを学んだ。そして、学校に行けなくなった瞬間、「自分を守らないと!」とすぐに思えたのは確実にこの経験から来たものだと思う。大勢の人に迷惑を掛けることになっても、僕の代わりに誰かが働いてくれることになっても、それでも僕は自分を守り「もっと生きていたい!」と心の底から選び取ることができた。
予防することの大切さ
僕らは子どもの頃から『自分に厳しくあれ。他人には迷惑を掛けるな。結果だけでなく勤勉であれ。』と暗に教えられている。そして疑問を持って違うアクションを取った人には「昔はもっと厳しかったのに、これくらいで音を上げてどうする?」と嫌味を言われることだってある。
今、外に出ると世の中の多くの人がマスクをしている。アルコールを使って消毒をしている。ウィルスに対する正しい知識を付けるより前にとにかく従って動き出すことができるのが日本人の多くかもしれない。体の病気を防ぐためにはすぐに『予防する』行動が取れるのだ。
では、心の中のことになるとどうだろうか。心がしんどくなった人に決して優しいとは言えない社会になっていないか?と思うことがよくある。
一方で「あなたはどうしたいの?」という質問に答えられない人が増えていることも僕は気になる。これは自由が認められている日本なのに多くの人が『自由』の扱い方を学べずに大人になることが原因なのではないだろうか。
僕は、今の子どもたちに、自分の本当の心の声を大切にする生き方をして欲しいと本気で思っている。
なぜなら、もう日本は一人も失うことを避けたい『未来』が待っているからだ。人口減少を突き進む国に経済的な豊かさを求めることは難しい。それでも明るく前を向いて幸せに生きるための力は、『人に言われたことを陰で文句を言いながらイヤイヤ生きる』ことでは得られない。また、『正しい情報を受け取り続けること』は必須条件だ。
苦手だなと思う人間関係はスパッと離れても良い。自分を認めてくれない環境は改めても良い。好きなことに没頭してそこで得た人間関係や経験を活かして生き生きと生活することは決して悪いことではない。苦手な環境を変え、また自分に合った環境でガンガン突き進む。これは決して『逃げている』のではなく『攻めている』と僕は感じている。一旦『退避』することは心をむちゃくちゃになるまですり減らさない最大の『予防』に成り得ると僕は考える。
自分軸を鍛えるオススメの本はこちら
コメント