ドレスコードを守らない人にはなるな

雑記

 中学3年生の子どもたちと話していて不思議なことがある。
 「勉強は出来るだけしたくない。勉強が苦手でも入れる公立高校ってどこ?」
 確かに多くの子が『高校』に勉強を求めて行ってはいないのは知っている。それしか選択肢が無いなら僕は全力で応援したいと思う。ただ、本当にそれしかないのだろうか?

 インターネットを調べると中学校卒業後に選択できる進路はたくさん見つけられる。特にやりたいことも無いし高校は『普通科』と選択している子に言いたい。本当にそれで良いのだろうか?

 『高校』は義務教育ではない。別に嫌なら行く必要がない場所だ。つまり、『高校』という場所は中学までの勉強では物足りないから『勉強のおかわり』をしに行く場所だ。学ぶことを嫌う子が行くような場所ではない。これは似たようなことが小学校からの私立の学校にも言えることかもしれない。大前提「嫌ならその選択肢を取る必要が無い場所だ。より質の高い学びを得ようとしている子が行く場所だ。」

 『高校』や『私立学校』における『学ぶこと』は『ドレスコード』みたいなものだ。
 高級なホテルやレストランでは、自分たちのサービスを提供する上でのお店のマナーとして服装をしている店があるのだ。嫌なら行かなきゃいい。
 サッカーが大好きな子が同じようにボールを使うからと言って何を勘違いしたのか野球のチームに入って、全然興味が無い、嫌いだ、活躍できないと嘆いているのを見てもみんなは黙っているのだろうか?

 今、世の中に溢れる「勉強が嫌い!」という言葉には2種類あると思っている。
 「世の中には自分にとって魅力的な学びの方法があるにも関わらず、誰かが全部レールを敷いたことに従いながらやる勉強は嫌い!もっと自由にとことん学びたい!」というなら僕は大賛成して応援するつもりだ。
 しかし、「初めからコツコツと努力したり、情報を集めたりすることが嫌いで、どんなことが前に出てきても嫌い、嫌いでやるきが出ない。」これは本当に危険な状態だと思う。こんな状態を薄めるように大人がケツを叩いても息切れするのは目に見えている。

 学ぶことにゴールは無い。
 大人になろうと、歳を重ねようと『学び続ける必要がある。』そしてこれからの社会はこの色がどんどん濃くなることは間違いない。たった数年で社会の様子が様変わりする。5Gが一気に広がればまた社会の様子はガラリと変わる。それは目に見えてる。

 勉強から逃げる。これはかなりわかりやすいSOSだと思う。もし、あなたがそんな状態なら冷静に自分の今の状態を見つめ直して欲しい。もしかするとあなたの周り、あなたの目指そうとする進路は自分の可能性をふさぎ込んでしまう方向に向かうものなのかもしれない。

 「自分で決めたことは最後の最後までやり通せ!」
 一見聞こえはいいが本当にそうなのだろうか?これだけ変化の多い世の中で、無数の選択肢がある中で「これしか無い」ということは全くない。自分の『今』が上手く行っていないなら冷静に『やり直すこと』もまた勇気なのかもしれない。

 いつでも、どこでも、どこからでも、『選択肢』は無数にある時代だ。

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