SNS時代に問われる想像力と読解力

教育

 僕らは当たり前にSNSが使える時代を生きている。
 僕はSNSのお陰で本当に人生の鮮やかさが増したと感じている人間の一人だ。
 例えば、定期的に『教育』について深いやり取りをする仲間が増えたTwitterからだ。Reggae×教育の授業作りはTwitter、InstagramのDMから繋がり実現した。小中学校時代の友だちのSNSの投稿を見て「あっこいつも頑張ってるんだな。」と懐かしく思うこともある。
 とは言え、このSNSを眺めていて、気になることがたまにある。今日はそれについて書こうと思う。

誹謗中傷もしかり 

 誹謗中傷を苦に命を断ったり、体調を崩したりする人が後を絶たない。これ自体もすごく悲しい現実だし、僕は『教育者』として、この現実をただ何もせずにいることはできないと思っている。

 想像力

 僕は、SNS時代に必要なスキルとして2つの力を改めて見直す必要があると考えている。
 まずは、『想像力』だ。SNSを眺めていると登録者数○万人だとか、フォロワー○万人という人がゴロゴロいる。それを眺めていると例えばフォロワー1万人というのを見るとそこまで多くないのでは?と錯覚してしまいそうになるが、その人の発言を1万人以上の人が目にする、そしてそこに多くの人が気軽に意見すること出来てしまう。これはすごく特殊な環境だ。それぞれの人にとっては『ちょっとした一言』でもとんでもない量の『ちょっとした』が届くのだ。
 僕たちは現代社会で『気軽で便利に一瞬で』色々なことを片付けられてしまう。それによって昔では想像も出来なかったようなチャレンジが簡単に出来るようになっている。
 ただ、その背後で『考える力』や『想像力』を失ってしまいそうになることと常に戦っていかないといけない時代が到来しているように思うことがある。

 ある子が言った。
「好きなアイドルのコメント欄に何度もコピペしたメッセージを貼っている。読まれるかもしれないから…」
 確かにYouTubeの生配信などでよく見かけるこうした行為。何度も何度も同じメッセージが流れるコメント欄を見る人がどう思うかなんてどうだっていいわけだ。多くの視聴者がいる中でたった一つのコメントを際立たせようとすればそういう方法も一つの手かもしれない。
 ただ、何の対価も出さずに自分のことだけしか考えずに取るこの行動を自分の好きなアイドルは肯定するんだろうか?それなら自分でどうにかお小遣いを貯めてスーパーチャットで際立たせるなり、違う方法でそのアイドルとの繋がりが持てる可能性に賭けて努力する方が僕は良い思いができるのではないかと思う。

 意見をするためのマナーというヤツは現実でも大切だと思う。
 僕は教師時代『職員会議』が大嫌いだった。なぜならみんな平等に意見を言って良いという特性がこの『マナー』の欠いた行動を許してしまっているなと感じることがめちゃくちゃたくさんあったからだ。
 僕は別に自分の考えが会議で通らないことなんてよくあると思っている。
 でも、『客観的な証拠』『具体的な社会の動き』『文部科学省が出した声明』などをめちゃくちゃ丁寧に伝えてくれている先生の意見や提案と、その分野に全く不勉強で自分の感覚を頼りに発言している人の意見が『同等』として扱われることに意味が見いだせなかった。僕たちは数々の経験や知識から生まれる『想像力』を大切にして生きなくてはいけないのではないだろうか。

読解力 

 そして、もう一つの力が『読解力』である。
 SNSによって、多くのファンと『舞台の上の人』との距離が近くなった。ただ、先程の『想像力』の話と合わさってか、こんな出来事をよく目にするようになった。
 僕はよくReggaeを聴くのだが、多くのアーティストのもとに「○○のチケットは余っていますか?」「○○のイベントは未成年は入れますか?」という質問が届いていることがある。そして、結構たくさんのアーティストが優しさで『運営』サイドに連絡するよう促している。
 冷静に考えて、何千人、何万人規模のイベントを手渡しで売りさばくアーティストはほとんどいない。僕は漫画が好きだが、例えば自分の好きな漫画の作者が全国の書店に漫画がどのくらいあるかを把握していたらすぐにそんな仕事辞めて作品作りに専念してくれと言いたくなる。
 ただ、これらの質問はたいてい案内のチラシに書いてあることばかりだったりする。読んでいない可能性もあるが、もしかすると『読めない』のではないか?と僕は疑っている。

 読解力が低下していると聞くと『教科書を読む力』ばかりがフォーカスされがちだが、僕はそれよりも『案内表示』や『取り扱い説明書』が読めるかくらいの『読解力』はきちんとおさえておくことをオススメしたい。『20歳未満は20歳は入りますか?』みたいな質問が運営側にたくさん届くような世の中では、そこに割かれる業務を想像すれば面白いイベントなんて限界がある。
 読んでいる時間が無いという言葉を聞くことがよくあるが、動画が喋るのを待つよりも自分で必要なことを拾いながら読む方が圧倒的に速い。

 『学力』なんて世の中の役にほとんど立たないと言ったりする人がいるが、これに両手を挙げて賛成はできない。読み書き、計算の基礎的な力に合わせて『予想したり』『試したり』『想像したり』『議論したり』全てはより良い未来のために必要な『生きる力』だと僕は思う。
 一番よくないのは『教科の学習』をただそれだけ放ったらかし、やりっぱなしにして『生活』と切り離してしまうことだと僕は思う。これからも、普段の生活から『教育』を見つけてはこうして発信していこうと思う。

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