Reggae×教育【寿君編】vol.1

Reggae×教育

最後の1年の夏

 僕が小学校教員を始めて7年目の年の夏が終わろうとしていた。

 未だに僕は初任校での勤務を続けていた。

 僕たちの自治体では、次の年の人事は3月の終わり頃まで分からないのだが、僕はこの学校での1年が最後であることが明確に分かっていた。そして、周りの同僚や保護者や子どもたちも、この年が僕にとってこの学校で過ごす最後の1年であることを知っていた。

 なぜなら、校区に住む僕には次の年にはその学校で勤務出来ない明確な理由があったからだ。

 次の年からはこの学校は、僕の勤務校では無く、息子の小学校になるからだ。

 最後の1年。言葉だけ聞けば聞こえが良いが、別にドラマの中の世界では無い。僕の頭の中には悩みがたくさんあった。僕は4月に始まった1学期から精神的に疲れを感じていた。

 理由は、通常学級40人の担任になったことで自分のやらなくてはいけない学校全体の仕事が進まなくなったからだ。

 その前の年に僕は特別支援学級の担任になり、学校の特別支援教育コーディネーターとして、学校の特別支援教育のシステムに対してたくさんの改革を行った。

 だがそれでも、まだまだ変えなくてはいけないことが山のようにあった。前年度は、学校全体をウロウロしながら、困っているなというクラスがあれば、積極的にサポートし、知恵を貸していた。場合によってはそれぞれの担任ではサポートしきれない保護者との面談も行って相談を受けていた。それが突然出来なくなったのだ。40人の子どもましてや最高学年の担任には次から次へと仕事が回って来て、それを許してはくれないような現実があったのだ。

 ある保護者には、「先生が悪いわけではないんです。でも、特別な支援が必要な子ってこうやって見捨てられていくんだな…と担任発表を聞いて思いました。」と目を赤くしながら語られた。

 決してその保護者に僕を傷付ける意図は無いのだが、正直ショックだった。

 いくら保護者に頼りにされたって、学校の方針で相談相手にすらなる時間がもらえないのか。そもそもそうやって学校の方針1つで僕自身の信用をごっそり奪われるのか。と組織の中で過ごすこと自体が苦痛に思えて仕方がなかった。

 さらには、僕が考えなくてはならないことはもう1つあった。

 僕が担任をしていた子どもたちは間に1年特別支援学級の担任を挟んでいたとは言え、3年4年、6年と今年で3年目の担任をする学年になっていた。ましてやクラスの中には自分が3年間も担任している子どもが何人かいる。何だか何年か前に似たような経験をしているなと感じながら毎日を過ごしていた。

 6年の担任になって僕が意識していたこと。

 それは、『僕を必要としない子どもたちに成長できる環境作り』であった。

 中学校という場所は、小学校と大きく環境が変わる。どちらが良いとも思わないし、年齢が違うのだから当たり前だ。だが、それでも中学校の厳しさにどんどん不登校になる子どもたちの声や保護者の言葉を耳にすることが増える。そして「小学校ではあんなに楽しそうにしていたのに…」という悲しみに満ちた言葉を聞き、あまりに長い人間関係はずっとそばにいてあげられない教師にとって正義ではないのではないか。という不安が浮かんできたのである。

 僕と一緒にどんなことをして過ごしたかどうかではなく。小学校生活の最後の1年で何が起きたか。で勝負しなくてはいけないと毎日思っていた。それでも、特に大きく動くことの出来なかった1学期が終わり、2学期が始まろうとしている。

『やらなきゃならない』組立体操

 僕の働く自治体では、毎年、組立体操が行われる。

 市内全ての小学6年生が集まり、市内を4つのブロックに分けて、それぞれのブロックで組立体操を行う行事があるからである。

 つまり、学校の裁量ではなく、市の取り決めとして『組立体操』をすることが決められているのだ。

 しかしながら、昨今、組立体操での事故は少なくない。感動の押し売りのような演技をして子どもを実験台のようにするわけにはいかない。それによって以前よりも安全上の配慮が徹底されており、見る人によっては見栄えに欠けるものになっているとの声もある。

 だが、実際に、そういう経緯があるということはしっかりとアナウンスされていないために、見ている保護者から「今年の組体操はなんかしょうもないな…」「もう終わり?」という言葉を耳にしたことがある。こんな言葉を暑い中毎日のように練習を強いられ、やっとの思いで演技を完成させた子どもたちが聞いたら何と思うのだろうか。

 子どもたちにとっては小学校生活最後の年に取り組む行事だ。少しでも思い出に残るような行事であって欲しい。ただ、自分たちの学校の運動会用に演技を作り変えるなんてことをするヒマなんて少しもない。

 そこで僕たちが考えたのが『ストーリーで巻き込む』という方法であった。

 演技は大きく変えようが無い。保護者に内情を伝えることにも限界がある。

 それなら、少なくとも『演技をしている子ども』『我が子を見ている保護者』そして『一緒に演技を支えた教師』が一体となって頑張りを称えあうようなラストになるように作り替えよう。しかも、練習の特にいらない方法で。これが僕たちのアイディアだ。

 具体的に言えば、様々な方法で子どもたちの重ねてきた頑張りが伝わるように多くの写真を学年の教室に掲示してそのストーリーを可視化したり、子どもの演技における『退場曲』に子どもたちや保護者が共感できるようなメッセージのあるものを選んだりした。

 全ての始まりはここからだったのだ。

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