質問できない子どもたち

子ども

 うちの施設に通う子どもたちの様子を眺めていると、いくつか共通して課題になっていることが見えてくる。もちろん、今の施設では『学校』というステージではなかなか解決できなかった部分にアプローチするために作り出した場所なので課題も当時の課題とも共通する部分はあるのだが。1つは『自分で選んで学習すること』の難しさである。そしてもう1つが、『わからないことを質問すること』なのである。

 『わからないこと』を聞くなんて、簡単なことだろう?と思われるかもしれないが、実はこれが凄く難しいことなのである。
 この技術は、僕が社会人として働くようになった時、先輩がよく嘆いていた悩みとも重なる部分があるのであった。

 僕が教師として現場に立つようになり、圧倒的にたくさん勉強させてもらった一人の先輩が、ある時こぼしていた。
 「最近の若い先生は、わかってなくても平気で聞かずに過ごしている。別に慕って欲しいとも思わないけれど、わからないことは普通聞くやろ…」
 僕は、その先生とは、親子ほどの年が離れている。にも関わらず、僕とその先生は結構仲が良かったので、恐らくこの『最近の若い先生』に僕は入っていないことに気が付き、少しショックだった。だが、そのショックについては、ここでは書くのは避けておく。確かに僕は目の前で自分が『わからないこと』が発生すれば、必ず先輩に質問する。僕にとっては『相談』だったのかもしれない。

 では、なぜ若い先生は先輩に質問しに行かなくなっていったのだろう??
 理由はハッキリとはわからないし、本人たちはそれにも気が付いていないかもしれないが、恐らく『わかっていないことにも気が付いていない』が正解ではないかと思っている。
 そもそも、『何が聞くべき内容で、何が自分で考える内容かすらわからない。』という状況が起きている可能性があるなと僕は感じている。
  その姿から転用し、僕は子どもたちの学習をサポートする上で気にするようになったことがいくつかある。
①質問することには、『慣れ』が必要であること
②『わからない状況』に気付く工夫を設定する必要があること
③『質問』には、どんな内容でも、何度でも答え続けること
④『質問』できるようになるまではとにかく『待つ』こと

 大人が何もかも押し付けてしまうと、子どもは『問い』を持つことすらしなくなってしまう可能性がある。『問い』を持ち、『考え』、『質問する』このサイクルの繰り返しを自分の力で始めた時に、子どもはたくさんのことを『学ぶ』のである。
 親として子どもを眺めているとついつい効率的だと思うやり方を子どもに伝えてしまいがちだ。
 ただ、それの繰り返しが逆に子どもを学びの世界から引き離してる可能性があるのではないかと僕は思っている。

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