みなさんは今『自由』ですか?
さて、今日は『自由』について僕の考えをはっきりと書いておこうと思います。
何となく人と違ったことをしたり、大はしゃぎしながら日々過ごしていることで、僕のことを「アイツはみんなが我慢していることにNoと言っているだけの人間だ。理想ばっかりでは何もできない。ルーズ。テキトー。…」と語っている声を今まで何度も耳にしていますが、結構腹を割って話した人には、そこそこの確率で誤解を解くことが出来てると思います。
ただ、人見知りなので、「裏切られるくらいなら、思っていることの数パーセントだけしか言わないでおこう!!」って思う時もあります。
では、本題に入ります。
僕は、『ルール』をかなり厳格に守ります。
こんなルールいるのか?と疑問を持った時には、徹底して意見を伝えますし、反対意見があればしっかり議論します。ただ、議論の結果、自分の考えと違う『ルール』が組まれた時には、それにしっかり、いや人一倍従います。
これはなぜか?
自分の『自由』を守るためです。ソクラテスの言った『悪法もまた法なり』という言葉を本気で理解していこうと思っています。
『学校』という場所には、形骸化されている『ルール』が多すぎます。それこそインターネットを探せば『ブラック校則』なんて話が面白おかしく書かれていますが、現実その校則が破られれば大人がこれ見よがしに説教している場面もよくあります。
もちろん、『学校』とひとくくりにしては良くないですね。
新しい『教育』に向かおうとしている『学校』は日本にもたくさんあって間違いは改めようという姿勢が僕はすごく好きです。
ただ、こういう無駄な『ルール』を必要悪だと語る先生は、僕が接してきた先生の中にもたくさんいました。
そういう人は基本的に「多くの子どもが不自由していても、このルールが無くなれば子どもは無茶苦茶するから。自由なんてもってのほか!」といった答えが返ってきました。
僕は、初任校の最後の年、小学校6年生の担任で41人の子どもと過ごしました。41人もいれば本当に色々な子がいました。
そのクラスで僕は2学期から『座席の自由化』を導入しました。
子どもにとって『席替え』というのはかなりビッグイベントだというのは理解していました。ですが、『座席』を大人の裁量で決めて出来上がった人間関係なんて社会に出た時にまるで役に立ちませんし、どんな人とでも自分から結びつこうという気持ちこそ高学年で身に付けて欲しいなと思ったからです。
僕が提案した『ルール』は2つ。
①授業の『質』は絶対に下げないこと
②今までの当たり前を勝手にルール化しないこと
この2つを提示して、あとは日々どうするか話したり、考えたりしながら進めていきました。
もちろん、3クラスのうちの1つのクラスがそんなことを始めるとすぐに話題になる訳で、「いいなぁ自由で…」という言葉を何度も耳にしました。
でも、正直最初の2ヶ月ぐらいは毎日誰かが注意されていたし、自分たちで生活をコントロールすることなんてまるで出来なかったし、休み時間のたびに誰かと友だち関係の揉め事について話していたのが現実でした。
『自由』をコントロール出来ない子たちの(そもそもそういう舵取りをする必要が無かったのだから身についていない方が当然だと僕は思っているが)『わがまま』が外に出続けていたのです。
ただ、こうなったことではっきりしたのがそれぞれの子の周りからの『信用』でした。ある特定の子とばかり過ごしている子は『信用』を下げていくことが手に取るようにわかりましたし、逆にいつもニコニコと色々な子と過ごす子はこの自由を上手く使い、さらに多くの子と学びを深め『信用』を高めていったのでした。
そして、2ヶ月が過ぎた時、子どもたちはきちんとこの『自由』をものにしていったのです。注意をしなくてはならない場面も減っていったし、自分で過ごす友だちを変えたり、見えやすい、学びやすい定位置を見つけたりしていった。何人かの子はこれによってテストの点数までよくなりました。
子どもたちは、レールの無い自由を求めることが多くあります。
でも、子どもはまだまだ未熟なので失敗もたくさんしてしまいます。
この様子を見て子どもから『自由』を奪い、『ルール』で固めるとどうなるか。
確実に子どもは失敗や上手くいかないことを『他人のせい』や『言い訳』で薄めにかかります。
『自由』を与えることによって、子どももその『責任』と『覚悟』を肌で感じるのです。
今これを見ている小中学生、そして高校生が居たら改めて見つめて欲しいことがあります。僕がなぜ『自由』は大切だと言っているのかを。
例えば、うちの施設『家庭学習応援施設MyPlace』では、リフレッシュすることを許容しています。ヨギボーのビーズクッションだってあるし、タブレットで動画を見てもよい場所です。それを人によっては『ただの遊び場』『めんどくさい努力から逃げている』と言うかもしれません。
もちろん、『怒られないために』が原動力になっていればMy Placeでの『自由』はただの『無茶苦茶』にしかなりません。
でも、自分の『弱さ』や『未熟さ』を自分でコントロールして自分なりの『学び方』を身に付ければ一生役に立ちます。
施設に来る子どもたちは、ある意味全員がMy Placeを背負う『施設代表』です。単に楽しい、気楽で終わってしまい『結果』から逃げるだけでは終わって欲しくないなと思います。
『自由』ってホントに大事だなと実感すれば、『ルールで縛りつけること』と『自由を与えられること』のどちらが本当の『厳しさ』か気が付くのではないでしょうか。
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