可能性を決めていた『自分』
あの日、確実に僕の価値観が変わった。
自分が本気で努力すれば、きっと誰かが支えてくれる。
僕の人生なんて所詮、人に自慢が出来ることなんて多くはない。
でも、自分の大好きだった音楽を仕事にして、多くの人の感動を生むような人と一緒に仕事をすることだってできるんだ。
きっと何事も可能性を閉じているのは、自分自身なのだ。
僕たち教師は子どもにはまるで『成功者』に映ってしまう時があったり、中身の無い『ほら吹き』に映ってしまうことがあったりしているが、僕ら大人も未来を変える可能性を大いに占めている。
しかも、僕らの伝えるもの次第では、子どもたちと一緒に『世界を変える可能性』だってあるのだと僕は大袈裟ではなくそう感じた。
いよいよ卒業って時に
あの授業からも子どもたちとの生活は続いていた。
僕は、また同じ学年の担任をすることが決まった。
正直3年間、自分の価値観に触れて育った子どもにどんな影響があるのか少なからず不安もあった。
小学6年生という多感な年頃の子どもたちと毎日過ごすことは僕にとって発見の連続であった。
ただ、3年目ともなると毎日子どもたちと大騒ぎしながら過ごしていてることが多かった。子どもというものは面白いもので、この頃には「あぁ先生またこんなに汚くしてるやん…」と定期的に僕の筆箱や身の回りの世話をしてくれている子が現れてくるのだ。
全てをさらすということは決してデメリットばかりではないものだ。
そんな生活も目まぐるしく過ぎ、3月がやってきた。
卒業を目の前にした子どもたちの元へSinger RAYの『人間らしさ』がまた降り注いだのであった。
ある日、Singer RAYのマネージャーにあの子たちもいよいよ卒業です。その節はお世話になりました。是非またお会い出来たら嬉しいです。とのメールを送ったところ、即答で「卒業前のお祝い授業に行きますよ!」と言ってくれたのである。
奇跡の2回目特別授業
こんなことはもう二度と無いだろうと感じていた。
でも、たった1年で二度も奇跡のような時間が実現してしまったのだ。
1年の時を経て、彼は『ポガティブ』というアルバムを世に送り出していた。
それを聴き込んでいる子もいたため、1年前とは子どもの反応も少し違っていた。
子どもたちの醸し出す雰囲気に突然やってきたゲストという印象はあまり感じられず、どちらかと言うと自分たちのアーティストが帰って来た。そんな雰囲気さえ感じることができた。
そして、今回は卒業式に向けて練習している歌を逆に聴いてもらう機会を設けた。
いつも『人に歌を伝える人』に逆に『歌で気持ちを伝える』子どもたちの心、そして、Singer RAYの心にどう残ったのだろうか。最後には予定にも無かった曲『I CAN FLY』も子どものリクエストから歌ってくれた。
頭の頂点からつま先駆け抜けた 初めての衝撃
表現するとしたら雷 届けたいんだ そこのあなたに
あの『泉州レゲエ祭』で受けた衝撃が僕をここに連れて来てくれた。
いや、その時に受け持ったあの子たちと一緒だったからこそ連れてこれた景色かもしれないし、たった2年の若手教師の挑戦を許した周りの先生のおかげだったのかもしれない。
あの瞬間を共にした『経験』はもう再現することは出来ない。同じ『経験』は二度と出来ない。だからこそ、ダメ元でも動いた『自分』にも感謝しているし、再びこの『経験』をまとめ、発信することで『誰かの挑戦』を生み出すような『読み物』にしていきたいと思ったのだ。
唯一の心残り
これは完全な後日談であるが、2回目に来たSinger RAYは実はその時まだ単独では配信もにもなっていないある歌を歌っていた。
この曲も歌詞のメッセージがわかりやすく、『人との繋がり』を感じる曲である。よくぞ、卒業前の子どもたちに歌ってくれたなと感動した。ただ、一部の子が「あの歌めっちゃ良かったけど、もう1回歌詞読んでみたい!」と話していた。子どもは、耳で聴き、目でも読み、そしてくり返して心に染み込ませるような味わい方をするようだ。
だから、あのメッセージがもう1度多くの子どもたちの心に届いて欲しいと、あの日から何年も後の去年、学年の『合い言葉(テーマ)』を決める際に即答で答えた。
『I&I』でいこう!
これを読んだ人にも是非聴いて欲しい曲である。
Singer RAY編の最後に
今、あの歌を共に聴いた子どもはもう18歳だ。
世の中キレイごとばかりでは語れない。辛いことも悲しいこともたくさんあるだろう。何となく逃げてしまいたいこと、面倒なことにもぶち当たり見た目の『青春』を求めて日々を過ごしているかも知れない。
僕は正直それでいいと思う。
自分の意志を持って、誰かとぶつかる方が何も考えずにロボットみたいに過ごすよりよっぽど『人間らしく』て僕は好きだ。
これを書く僕は今、35歳。
もう十分おっさんだ。子どもだって2人いる。それでもあの『授業』や子どもたちと過ごした『生活』が根っこになり、まだまだ『挑戦』を辞めることが出来ない脳みそになってしまっている。
小学校の先生何て仕事に僕は憧れは無かった。
たまたまの巡り合わせで辿り着いた職業だ。4月に始まり3月に終わる、そのくり返しで6年を過ごす。そこに何だか物足りなさを感じたのが、僕が校区に住むことになった源泉だ。何も卒業した子にしがみつくつもりは無い。僕のことを嫌いだ、苦手だ何てヤツ山ほどいるのはわかっている。
だからこそ、『居場所と考え』だけ発信し続けて『灯台』のように生きていきたい。
僕は今でも大人になり行く教え子を応援している。
何なら今僕は一人の教え子と働いている。
あんなに小さかった10歳の教え子が立派に自我を持ち、悩み苦しみながらも、僕の挑戦をひたすら支えてくれている。僕もこれからまだまだ人の応援をし続けられるような人でありたい。
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