『不登校』はどんな子にもなる可能性は十分あるし、今後当然のように増えていく。
僕はこう思っている。
不登校が今後もっと増える可能性が高い理由は以下のものがある。
- 全てのことに価値観が多様化している
- 学校の業務がパンクしている学校が多い
- 人手が足りない学校が多い
- 技術の発展により『疑似体験』の質が上がった
- 子どもの意志が尊重される世の中になってきている
このような社会の姿はちょっとした取り組みでは変えることは不可能であり、必ず加速すると言って良いと思う。
僕は『不登校』イコール『良くないこと』なんて1ミリも思っていない。これは多くの教育者が同じ意見なのではないだろうか。
ただ、学校に行かないという選択肢が『学ぶ機会』や『居場所』、『人との関わり』を奪ってしまうならそれは成長において望ましいとは思わない。これは逆もしかりでただ学校に行っているだけで『学ぶことからの逃避』『人との繋がりを感じれない』『40人または数百人の中の1人として背景になる』ならそれも望ましいとは思っていない。
今の時代なら探せばいくらでも補える。『学校』を絶対の正解にして子どもやその家族が苦しむなら僕は良いことだとは思わない。不登校にまつわる話で学校の先生が子どもに対して「頑張って少しでも良いから学校においでよ。」という話を耳にするが、そもそも『学校』として、その子が頑張らないでも学校に行きたくなる仕組みはどこまで調整して、どこまで提案したのだろうか?一丁目一番地はそこなんではないだろうか?
幸せに生きる
生きていく上で僕は『幸せを求めること』を重要視している。
『幸せ』とは何か?すごく難しい問題だと思う。
これには1つの答えがあるわけでは無い。ただ、多くの『不幸せに感じる出来事』は他人によって作られている気がしている。みんなと同じことをしないことを責められて感じる不幸せ、他人よりお金が稼げないことに対する不幸せ、みんなと同じことが出来ない自分に対して自分自身が作る不幸せ。
世の中には「良かれと思って放たれる一言」に苦しむようなことがたくさんある。
僕はこれに対して『自分軸』を鍛えることをおススメしている。僕たちは小さな頃からついつい人と比べたがる。でも大切なのは『自分がどう感じるか』つまり、いかに『自己評価』の機会をたくさん持つかが幸せにつながる道なのではないかと思う。これは決して自分勝手なこと、甘えていることではなく、自分の人生に自分自身が責任を持つ意味で子どもたちに大切だと伝えていきたい。
コメント