なぜ、無料の学習支援を始めたのか…

教育・教師

収入が安定しないのに、なぜ「無料の塾」をやるのか

僕は今、「家庭学習応援施設My Place」で、小中学生の学習や生活の支援をしながら生きています。

学校の先生だった頃と違って、収入は安定しません。

通ってくれる子どもたちや保護者の方は、きれいごと抜きで言えば、僕ら家族が生きていくための「お客様」でもあります。

利用者が増えれば法人としての収入は上がるし、途絶えれば生活は苦しくなる。ここは、現実としてちゃんと受け止めています。

それなのに、僕らが並行して始めたのが「Zero塾」という月2回の無料学習支援です。

「勉強を教える仕事をしている人が無料で教えるって、自分の首を絞めてない?」と思われても不思議じゃない。

今日は、その“矛盾っぽいこと”を、できるだけ誤解のないように書いてみようと思います。

https://19ch.tv/(ちなみにこれも無料)


困っているのは、本当に「勉強」なのか?

Zero塾は、いわゆる「授業」をする場所ではありません。

大人が前に立って教える、あのスタイルからは始めない。

僕が大事にしているのは、子どもから出てくる「わかりません」「ここが止まりました」という声です。

だから、形としては自習室とか図書館に近いかもしれません。自分で机に向かって、手を動かして、そこで詰まったところを一緒にほどく。

僕が評価したいのは「正解」よりも、動き出したその一歩です。

そして現場にいると、「勉強が苦手」と言う子の多くは、勉強そのものより先に、別のところでつまずいているように見えます。

「何の役に立つのかわからない」「教え方が悪い」「早すぎる」「自分に合ってない」「質問する暇がない」「いつ聞けばいいかわからない」…理由はたくさん出てくる。

もちろん、その中には本当に大事な指摘もあります。でも同時に、その言葉が「勉強から離れるための安全な言い訳」になってしまうこともある。

だから僕は、「教材を変えれば」「先生を変えれば」だけで解決するケースは意外と少ないと思っています。

公立小中から公立高校へという多くの子のレールにおいても、結局は「どうやって日々の中に学習を置くか」の方が影響が大きい。

つまり問題の中心は、学力以前に「学びとの距離感」なんじゃないか、と感じるんです。


浪人生の僕が気づいた「授業の幻想」

偉そうに言ってますが、僕だって昔から学習習慣が整っていた人間ではありません。

中学〜大学にかけての僕の生活は、わりと自由奔放でした。

突然油絵を描き出したり、浪人生なのに運転免許を取りに行ったり、夜中に友だちと公園で缶蹴りをしたり。

今振り返ると「いや、勉強せえよ」と自分にツッコミたくなる。

そんな僕が浪人時代に通った予備校は、当時勢いのあった代々木ゼミナール。

人気講師の授業は面白いし、わかりやすいし、「これで伸びるだろう」と思った。遅い時間まで授業を受け、家でも課題をこなす。努力してる感だけは、人生でトップクラスだったと思います。

ところが、ある日気づいたんです。「たいして成績が上がってない…」と。

今思えば当たり前で、授業で「わかった気」になって、課題をこなすだけで精一杯。いちばん必要だった演習、つまりアウトプットが圧倒的に足りていなかった。

インプット過多に満足して、テストという本番への経験値が薄い。僕が「勉強」だと思っていたものは、けっこう幻想だったのかもしれません。


結局「やる・やらない」ではなく「続けられる形」かどうか

僕は浪人しても劇的に点数を上げたわけではありません。

でも大学に入ってから大きく変わったのは、「自分の学び方」を考えるようになったことです。

がむしゃらに頑張ればいい、では結果は出ない。

得意不得意もあるし、興味関心の強弱もある。なのに僕は、ゲームのルールも知らずに「勝ちたいです!努力します!」と言っていたようなものだった。

そして僕が「したいことをする」「どうなりたいかを自分で決める」方向へ寄っていけたのは、親がかなり放っておいてくれたからです。

自由に動けた経験が、いわゆる「自分軸」を作ってくれた。

ドイツ語にハマって検定を受けたり、家庭教師をしたり、ホームステイに行ったり、就活も「ここで働きたい」と思える会社だけ受けたり。自由って、放任ではなく、「自分で選ぶ練習の場」でもあるんですよね。

だから、保護者の方から「うちの子、勉強苦手で…おすすめの勉強法ありますか?」と聞かれると、僕はいつもこう返します。

「続けられることなら、何でも力になりますよ」と。

雑に聞こえるかもしれないけど、本気です。

多くの場合、つまずきは教材や教え方以前に、「続けられない構造」の方にあるから。

失敗経験が積み上がって、やる前からしんどくなる。

しかも今は、インターネットという「いつでも逃げ込める快適な世界」がある。気づけば時間が溶けていく。

そうなると、努力が足りないという話ではなく、環境設計の話になります。


Zero塾は「未来を変える」より先に、「孤立を止める」ためにある

もし本当に、「勉強がわからない」だけが悩みで、やる気もある、聞きたいこともある、でも誰にも聞けない。そんな子が地域にいるなら、僕は無料でも手伝いたいんです。

なぜなら、その状態って放っておくと「学力の問題」ではなく「自己否定の問題」に変わっていくから。

わからない→恥ずかしい→聞けない→置いていかれる→やらない→もっとわからない、のループが始まる。

ここに入ってしまうと、抜けるのが一気に難しくなる。

Zero塾は、そのループの入り口で、せめて「止まれる場所」を作るためのものです。

僕が変えたいのは、子どもの未来だけじゃなく、地域の教育文化でもあります。「困ったら誰かに頼っていい」「学びは一人で抱えなくていい」っていう空気が、少しでも広がればいい。

収入が安定しないのに無料でやる理由は、きれいごとだけじゃなくて、現実的でもあるんです。

地域の中で信頼が生まれ、学びの孤立が減り、結果として必要な支援が“ちゃんと必要な人に届く”社会の方が、長い目で見て強いから。

小さな一歩かもしれない。でも、僕はこの一歩を「大切な一歩」だと信じています。

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