なぜ、無料の学習支援を始めたのか…

雑記

 僕は、今『家庭学習応援施設My Place』という小中学生の学習や生活の支援をしながら生きている。
 以前の小学校教員という仕事と違って収入は安定しない。通ってくれる子どもたちや保護者の方は僕ら家族が生きていくための『お客様』である。利用者が増えていけば法人としての『収入』が上がっていくし、それが途絶えれば僕ら家族は生きていけなくなる
 ただ、それにも関わらず並行して僕らが始めたのが『Zero塾』という月に2回の無料の学習支援である。
 シンプルに考えて『勉強を教えること』を生業にしている人間が、『無料』で勉強を教えるのは自分の首を絞めているように映るかもしれない。今日はその意図について少し丁寧に書いておこうと思う。

1.困っているのは本当に『勉強』なのか…

 『無料』の学習支援とは言っているが、多くの人が想像する『授業』を僕はやっていない。大人が『教える』という行為から始まる学習スタイルでは無く、子どもから発せられる「わかりません。」から始まる学習に僕は光を見ているからである。
 なので、もしかすると『自習室』『図書館』に近いかもしれない。
 自分から動き出した一歩をことさら評価する。それが僕の今やっている『支援』方法である。

 『勉強』が苦手だという子のほとんどが
  ・何の役に立つのかわからない
  ・教え方が悪い
  ・早すぎる
  ・自分に合っていない
  ・質問しにいく暇がない
  ・いつ聞けばいいのかわからない
  ・質問しても教えてくれない
 と自分が『勉強』から離れている理由を作ろうとしている。その言葉を真に受けてか、何とか子どもに勉強してもらおうと『多額のお金』を動かす文化があるのである。

 僕は、『勉強』が苦手だと話す子のほとんどは、『教わり方』『地頭の良さ』問題があるのでは無いと思っている。ましてや公立小中学校から公立高校に進学するというレールには、特に影響は少ないと考えている。

2.浪人生だった僕

 僕は決して昔からきちんと『学習習慣』が整っていたとは口が裂けても言えない。
 僕の中学生~大学生までの生活は本当に『自由』なものだった。
 突然『油絵』を描き出したり、浪人生になったのに『運転免許』を取りに行ったり、夜中に友だちと公園で缶蹴りをしたりとまぁ誇れるような生活は送ってはいなかった。
 ただ、浪人生だった頃の経験は僕の『勉強』に対する姿勢や意識を大きく変えた。僕が通っていた予備校は『代々木ゼミナール』は当時かなり勢いのあった大手予備校であった。その予備校で1日過ごしては、超人気講師たちの超上質な『授業』を受けるわけだ。衝撃だった。話は面白かったし、とにかくわかりやすく感じた。
 かなり遅い時間まで『授業』を受ける日もあったし、家でも課題をこなしてはいた。

 しかしあることに気が付いたのである。「たいして成績が上がっていない。」という事実を。

 今考えれば当たり前のことで、どの『授業』でも課題ややっておくと良いということをひたすらこなすのが精一杯で全く効率的な学習が出来ていなかったのである。しかも、『演習』に費やす時間が圧倒的に少なかったのだと感じる。

 僕がそれまで『勉強』だと思っていたことはもしかすると『幻想』だったのかもしれない。インプット過多になることに勝手に満足し、テストというアウトプットに対する経験量が絶対的に欠けていたということに大学に入ったあと少しずつ気が付いていった。

3.結局『やる』か『やらない』か

 僕は1年浪人したところで大して『点数』を上げることなく大学生になった。
 ただ、明確に変わっていったのはこの辺りから自分の学び方について「考える」ようになっていった。出来るだけ時間を掛けずに自分の欲しい結果を出すためには『がむしゃら』では良くない。
 僕は受験生だった時には闇雲にしか勉強をして来なかった。とにかくたくさん点数が取れれば良いのだからどれも一生懸命頑張ればいいくらいにしか思っていなかった。こんな考えでもそれこそ公立中学校の中ではトップクラスになれる。そんな環境が僕を間違った『学習観』の中に包み込んでいたのかもしれない。

 人間には得意不得意があるということ。興味関心は人それぞれ強弱があるということ。そして自分が学んでいることはどのようなルールで進んでいるかなどは一度も考えることなく過ごしていた。
 冷静に考えるとおかしな話だ。自分の参加しているゲームのルールも知らずに「勝ちたいです。」「努力します。」なんて言うのだから。
 でも、そんな些細なことに疑問を持たないまま僕は大学生になったわけだ。

 そういう経緯から僕は『したいことをする』『どうなりたいかを決める』と言う生き方を選ぶようになった。 

 では、なぜこれが出来たか。間違いなく言えるのは、僕の親は完全に僕のワガママを聞き入れ、放っておいてくれたからだ。そのおかげで大学生の4年間したいことが出来た。ドイツ語が好きになり、ドイツ語検定を受験することを決めたり、地域の子どもに勉強を教える個人の家庭教師をしたり、突然ドイツにホームステイに行ったり、就職活動は業界を選ぶことをせず、この会社で働きたいと思える企業にだけ端からエントリーし、最初に決まったところに行くと決めたりと本当に『自由』に過ごしてきた。
 ただ、この『自由』に僕が動いた経験が今の自分を作っていったとも言えるかもしれない。所謂『自分軸』の決定がこの『自由』に生きることから生まれたことは間違いない。

4.『やり続けられる』のススメ

 こういう仕事をしていると本当に大人によく聞かれるのが「うちの子本当に勉強苦手で…オススメの勉強法ってありますか?」と聞かれるが僕はいつも「続けられることなら何でも力が付きますよ。」と返す。
 「そんなの当たり前だ。」「詐欺だ。」と言われるかもしれないが僕は本気でそう思っている。
 要するに今勉強が苦手だと言う子のほとんどは「教え方」や「教材」でつまずいている訳では無いと考えているからだ。誤解の無いように言うが、僕だってIQは人それぞれ違うから難し過ぎる概念がその子に入りにくいという状況があることは理解している。ただ、ほとんど多くのお子さんの場合、「やる」か「やらない」か問題に辿り着くと思っている。
 「じゃあ、やっぱりうちの子は努力が足りないのだ。厳しく教え込もう!」となる訳だが、それは正直オススメしない。きっと「続けられない」からだ。
 勉強が苦手な子もきっとどこかのタイミングでは「頑張りたい!」と思っていたに違いない。数々の『失敗経験』から逃げたくなっていることを目の前に山積みにされ興味も意欲も無くなってしまっているに違いない。
 ましてや現代社会には『インターネット』という簡単に現実から逃げ込める便利な世界がある訳だ。最初は『休憩』『隙間時間』『息抜き』『エンターテイメント』から始まったものがどんどん『自分の時間』を奪っていくに違いないのである。

 本当に『勉強』がわからないと言うことが唯一の悩みなら、僕は『無料』でもお手伝いするつもりだ。
 やる気はある。聞きたいことがあるけれど誰にも聞けない。という子がもし地域にいるなら僕は必ず救いたい。
 そんな気持ちから今ある無料学習支援『Zero塾』は立ち上げられたというわけだ。僕が変えたいのは『子どもの未来』『地域の教育文化』だ。その為には小さな一歩かもしれないが大切な一歩だとも思っている。

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