報酬を再設計する

雑記

 僕は今『報酬』とは何か?についてよく考えることがある。自分の生活や自分の状態について細かく気にするようになったのは完全に自分の人生が大きく変わるほど精神のバランスを崩した経験をしたことが影響していると思う。正直、辛い気持ちでいた時の自分には戻りたくない。自分が今何を思い、何を大切にしているのか、つまり『自己評価』を繰り返す文化が出来てきたのかなと思う。

 僕は今の仕事になって収入は激減している。もちろん、払う税金が減ったり、生活をコンパクトにしたり、色々と助けを得たりと生活は成り立っているのだが、これからももっと稼いでいかないといけないなと思いつつ、仕事の内容や救いたいターゲットに届けるためには高額なお金をもらうサービスが基準になってはいけないと思っている。
 だからこそ、寄附応援サイトに登録して一人でも多くの方に僕らのビジョンを伝えたり、収入の入り口をいかに増やせるかを考えたりするのだけれど、すぐに還元してしまうからやはり『お金』の問題とは今後も長く向き合っていかなくていけない。

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 そんな毎日では『お金』は報酬にはなりにくい。でも、この『不安』はいつか必ず回収する予定だ。去年の4月初めての緊急事態宣言が出た時に学習施設も休業指定が掛かった。1月に始めてやっと少しずつ形が出来て来た時のそれはとてつもなくダメージがあった。うちの家族を支えるお金は奥さんの給料に頼ることとなりとても不安があった。すぐに事業として貸し付けを受け、何とかしようと奔走した。『お金』があれば幸せか?と聞かれればそれはNOだと思うが、『お金』があることで挑戦する気持ちが湧いて来たり、深い思考ができたりするのは間違いないと実感した。

 ただ、ここで重要なことは『お金』という軸足だけを『報酬』として設計していては思うようにやっていけない可能性があるということだ。別にきれいごとを言うつもりは無い。お金は大切にしたい。だが、今の僕を支える『報酬』は他にもある。

①自習室に来る子どもたち

 僕は今毎朝4時40分に起きている。前の晩が日をまたごうと何があろうとその時間に起きる。そして、トコトコと仕事場に移動し、ラインミーティングを開いてオンラインの自習室を開く。朝5時オンライン自習室のスタートだ。
 勉強は嫌い。やる気が出ない。嘆いていた子どもたちが普段は起きない時間に一生懸命起きて眠い目をこすって勉強を続けている。今日で13日目だ。毎日参加している子はすでに20時間弱みんなよりもたくさん勉強に取り組む一歩を踏んでいる。別に朝が全てでは無い。そこからもガンガンやらないといけないことはある。間違いなくこの一歩を踏めるようになった子は昼間結構勉強量が増えている。こうした投げ掛けに『自分の時間』を使おうとしてくれている子を見ていると応援したい気持ちになる。

②質問して来る子どもたち

 「先生、これってどういうこと?」この一歩は子どもにとってはめちゃくちゃ大きい。子によっては1年以上掛かることなんてザラにある。でも僕は今の仕事の中では敢えてそれを眺めてグッとこらえている。ここはそういう場だ自分で動かないと助けてもくれない。と伝えるためだ。なぜ、そんな一見冷たくも見える設計にしているか。社会がそうだったからだ。聞けば助けてくれるのに、聞かない子には何もしてくれない。学校はそうではない。助けてと言われなくても困らないように教師がめちゃくちゃ準備して助ける。授業をいかに準備しているかで教師の力量を計ろうとする文化さえある。義務教育の間中それを経験してピタッと社会では「助けて!」が求められる。それを伝え続けて自分の力で質問を踏んでいる姿が見れた時、やはり嬉しい気持ちになる。

③楽しそうに笑う子どもたち

 昨日、夕飯のあと下の子が僕のところにやってきた。僕は今日の仕事の準備としてきゅうりを切っていた。というのも今日の小学生の活動は『夏祭り』をしようだからだ。きゅうりの串刺しの浅漬けをみんなで食べて、輪投げやスーパーボールすくい、フランクフルトにポテトに焼きそばなどなど中止になった祭りを気分だけでも感じてもらおうという企画だ。
 我が子ではあるが、「明日めちゃくちゃ楽しみやな!」と言ってもらえるとこっちもやりがいがあるというものだ。

結論、新たな報酬は『リアクション』

 世の中は今後必ず『稼ぎにくい時代』が到来する。自分も含めてそうだが、なかなか厳しい時代だ。そんな中大した蓄えも無く起業した僕は『お金』という報酬は向き合い続けなくてはいけないが、期待は大きくしてはいけないくらいに思っている。

 コロナによって仕事が飛んだ一年前。僕は本当の意味で『家事や育児』の大変さを知った。もちろん、今も洗濯や掃除など夫婦で分担してやってはいるが、『しなくてはならないこと』だけに従事することはかなりモチベーションのコントロールが難しかった。もちろん言葉では「ありがとう。」とお互い掛け合ったって、毎日続けているとどうしても背景のような感覚になってしまう。子どもたちだって、奥さんだって『感謝』をしてくれているのは伝わるでもだんだんとストレスが溜まっていっている自分が居たのを実感した。

 結局僕たちは自分の『アクション』に対して『リアクション』があるのが嬉しい生き物なのかもしれない。SNSにアップした情報に見た目は何も反応が無くても「この間、タイムライン見ました。」だとか「ブログこっそり見てます。」とか言われると「また、書き続けよう。」と思える。夏休みに入り体験活動を重視する。と言って色々やっていても、ただ参加するだけよりも、感想を教えてくれたり、反応があればこっちもやりがいを感じる。

 僕らはこれから確実にやってくる災害や感染症に対して向き合わないといけなくなるだろう。今が最悪なんてことは常に無いと思って過ごす方が安全だと僕は思っている。『お金』を出しても人は買えない。だからこそ、僕らは『リアクション』をくれる誰かを求めている。僕が欲しいということは同じように子どもや友だちもきっとそうだと思う。人の本気に寄り添い『リアクション』としてのサポートを返せるような人間であり続けたい。

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