ちょっと素敵な魚の話

雑記

 今日午前中『家庭学習応援プラン』で週に1回ほどうちに学びに来てくれている子と一緒に近所の川に釣りをしに行った。

 彼は生き物が大好きで、とても素敵な学び方をしている子の一人である。

 うちの施設の近辺は山の中にあり、近くにキレイな川が流れているにも関わらず子どもは川遊びや魚釣りをしてはいない。だけれど、彼はもともと釣りが大好きなのでたまにやってきてもともとうちに通っている子たちに『釣りの文化』を運んでくれたのだ。

 最近はペーパークラフトに熱中する子や、絵を真剣に描く子、読書にふける子も居れば、工夫して学び方をアレンジして楽しく勉強している子も増えてきたなという印象だ。子どもの熱中する姿ほど愛おしいものは無い。

 話を戻して今日の午前中のことだ。その子があることを教えてくれた。

「ヤマメとサクラマスって実は同じ魚やねん。だけど、小さい時にエサを取る生存競争に負けた魚(サクラマス)が海に出て、海で暮らして大きくなって、ずっと川で過ごした勝った方の魚(ヤマメ)よりも大きく成長して戻ってくるねん。負けたはずの魚が結果的に成長してるってめちゃくちゃ不思議じゃない?」 

 めちゃくちゃ面白い話だった。気になる方はより正確な情報をネットなどで調べて欲しい。

 もちろん、大きい魚が偉いわけでも無いし、結果的にそうなったという話ではあるけれど、やはり弱肉強食の世界では一般的に大きい魚の方が有利であるのは間違いないわけで面白いことだと感じた。

 ただ、この話を聞いていて「あぁ僕らの目指していかないといけない方向はやはりこれだよな。」と思ってしまった。

 僕たち大人はついつい子どもに『テストの点数』を求めてしまう。高校受験なんてまさにヤマメとサクラマスの話に似ている。たった3年間のしかも別に学校ごとに評価の基準すら違うような『点数』『評定』を求めてイライラしたり、大金をはたいたりしているけれど、結果子どもたちの多くは『学び』をいっぱい蓄えて大きく成長しているのだろうか?学び続ける人になっていっているのだろうか?僕の感覚では完全にNOだと思う。ヤマメになるかサクラマスになるかに必死になり過ぎて『ずっと泳ぎ続ける魚』であることを忘れさせてしまってはいないか?ヤマメになろうが、サクラマスになろうが僕らがしなきゃいけないのはその時の状況で精いっぱい生きる、楽しんで生きることだと僕は思っている。どっちの生き方もそれぞれ素晴らしいと僕は思うが、一回や二回の生存競争に躍起にならなくたって人間は死ぬことは無い。そもそも受験なんて生存競争ですら無い。受験戦争に勝てばその後の人生の成功確率がぐんと上がる世の中だったのだから。だが、今その基準しか持たない職場にみんながこぞって働きたいと思うのだろうか?人生は心の持ちようだと僕は心底思って生きている。

 僕は通信制高校も、遠隔の指導も、フリースクールもやっているがそれはまさしく多様な価値観を認めて『学び続けることのできる場』を与え続けたいという願いから来たものだ。

 これからも色々な形で僕たちが大切だと思うことを発信し続けていきたい。

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