僕が『見えてなかった』世界

雑記

 今の仕事をするにあたって一番悩んだのは『お金』のことだ。
 夢を追いかけるようなこと、やりたいことを貫くことは常に『我慢をしないこと・自分勝手な生き方』と見られる節があって、僕の転職を引き留めるにあたって「世の中そんなに甘くない。楽して稼げると思ってないか?」と言った人がいた。
 僕はこの転職は、別に楽がしたい。我慢することから逃げたい。と思って選んだ道ではない。
 それで言うと1年ちょっとで十数キロ痩せて、毎日終電目掛けてダッシュしていた日々、繁忙期は新卒1年目でも教師を辞めた時の給料の倍は手取りでもらっていた。金を稼ぐことが身を削ることくらいに思っていた時期は僕にとって遥か昔の話だ。そんなダサい考えで僕は一歩も躊躇しない。(そもそも、その人が僕を本気で教師として働いて欲しいと思っていたかどうかは疑問ではあるが…)

 ただ、『お金』のことや『働く』ことを考え抜いた結果、身を投じた今の生活でハッキリと見えてきたことは、僕が教育者として『見えていなかった』世界で、教師としての『視点』にプラスできることがいっぱい転がっていた。

1.『家事』や『育児』は適切な評価を受けていない

 僕は今基本的に毎朝洗濯物を干している。奥さんと二人で干す時もあれば、一人で干すこともある。そのあと、乾いた洗濯物をたたむ。そして、火曜と金曜は『燃やすごみ』の日なので、各部屋のごみ箱からごみを集めて、今度は施設のごみ捨てだ。朝はたいていごみが落ちている。きっといつもお家の人が代わりにやってくれているのだろう。平日に何回かは買い出しだ、かごいっぱいに食料を買い込んでもすぐになくなる。たまに食事も作ることだってある。昼食はたまに食べに出るが、自分の一人前を家で作るのは本当に面倒だ。
 今までだって自分の奥さんや母親に感謝はしていた。出来る限り自分で出来ることはやっていたつもりだ。ただ、物理的に出来ないことも多かったので完全に任せきりになっていた部分もあったが、今は違う。外での『仕事』を奥さんが増やしてくれたおかげ僕は新しい仕事に挑戦することが出来ているので感謝でしかない。
 これに加えて、子どもにまつわる親の仕事も多い。育児ってやつだ。必要な学用品を揃えたり、宿題も親が目を通さないといけなかったりする。兄弟のいるうちの場合は、保育所と小学校で別のサポートがいるし、これが何人も居た日にはとんでも無い数の『仕事』が舞い込んでくる。
 それに『育児』のクライアントは本当にビジネスマナーのなっていない超ド級のクレーマーだ。全て『無償』で時間を問わず無理難題を押し付けてくる。誠心誠意向き合えばわかってくれる何て優しさはない。ましてや、このクライアントが上手くいかない時は全て「自分の責任なのではないか…」と落ち込まないといけないような社会の風潮さえある。
 そして、何より、ここまでしんどい仕事をこなしたところで、出世するわけでも、給料がもらえるわけでもない。良くて『ありがとう』と言ってもらえるくらいのもんだが、何かをしてもらって『ありがとう』ということぐらい人間わかって育っていくものだから、決して適切な評価だとは思えなくても当然だと思う。

2.『感謝』は見えにくくて感じにくい

 ただ、多くの子どもや外で働く人は、『家事』や『育児』をやってくれている相手に対して『感謝』はしているはずだ。そして、時には伝えているはずだ。これも恐ろしいもので、『感謝』は伝えられている時は、『伝えられること』が『当たり前』になる時もある。『トイレのスリッパ』と似ている気がするが、揃えなきゃいけないと思っている時期を経過し、『揃っているのが当たり前』になると『揃っていない時』に意識がいってしまうのが『人間』なのかもしれない。
 『お金』は指標としてはわかりやすい。たくさんもらえれば物が買える訳だし、生活を潤すことにも繋げられるだろう。
 『家事』や『育児』は『感謝』が原動力になることが多く、それが途絶えたと感じた時、何だかグッと寂しさを感じるのではないかなと予想が付く。必死で作った晩御飯が、「えぇ~。魚…」とか言われた日のダメージはきっと体験しないとわからない。

3.大切なのは『孤独』にさせないこと

 『教師』という仕事は本気でやれば、忙しくなり過ぎる。
 僕も実際にはそうだった。
 保育所の迎えに行く時間のタイムリミットを目掛けてダッシュで迎えに行って、その後子どもを車に乗せて家庭訪問に行ったことだってある。
 『子育て』ってヤツは、パートナーがいるかいないかとかそんな次元の話じゃなく、共感できる『誰か』が必要だと思う。何だか『子ども』にまつわることって全て尊いことのように語られるけどそんなことはない。『当たり前』のことと出来るほど楽でもない。場合によって『感謝』なんかで心が動かないほど疲れることだってある。
 物理的な人手も足りていない。お金で心を埋めてくれるわけでもない。そんな『家事』や『育児』ってヤツは『孤独』を感じた時に上手くいかないことが多い。

 去年の休校中僕は、ほぼ1か月我が子とだけ過ごしていた。子どもが一日家に居るとどうなるか、本当に理解している人がどこまで政治に関わっているのだろうか。と思っていた。突然舞い込んだこの状況で、子どもの動きが変われば、大人の動きも変わらざるを得ない。それでも社会は待ってくれない。そこで感じる社会からの『孤独感』一番努力した人間がダメージをもろにくらう世の中だ。
 僕は、やっぱり『子ども』も『親』も助けたい。そんな『視点』が強くなったのは、『教師』では見えなかった世界だ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました