『普通』って何だろう?
子どもの頃、誰でも一度は感じたことじゃないだろうか。
2012年の4月、僕は教師としての人生をスタートさせた。
別に小さな頃から憧れていた訳でも無いし、学校の先生といつも仲良くしていた訳でも無かった。
学校の先生との関係なんて、何となく怒られるのは面倒だし、従っていることは多かったけど、時々反発だってしていた。
中学校の頃は、生徒会の役員になっていたし、学校の成績は決して悪くなかった。授業なんてほとんど聞いていなかったけれど、友だちと楽しく過ごせる学校は嫌いではなかった。
でも、厳密には僕が好きだったのは『学校』ではなく、『人』だった。
会いたい人に会える場所。そこが僕には『学校』だっただけだと思う。
ただ、僕が小学校で働くようになってほどなく、少しずつ違和感を感じていた。
毎日のように目の前の子どもたちが、他の先生に従わず大暴れしていたり、学校の約束を何度も破ったりしている姿を見て、
「学校ってこんなに不自由な場所だったっけなぁ…」
と感じ出したのだった。
毎日のように学校の先生の『普通』と子どもたちの『普通』がぶつかり合っていくのであった。もちろん、僕だって何度も子どもたちを叱ってきた。ただ、不機嫌に叱りつけて終わりにならないように気を付けてはいたが、子どもたちにどう映っていたかはわからない。
『人権教育』をする時も、『平和教育』をする時も、何より日々の生活をする時も、
「一体どの普通が正義なんだろう…」
と頭を悩ませながら、自分の教育観が誰かの人生の邪魔にならないかに常にこだわりながら教師として生きてきた。
REBEL Musicの力
Reggaeというジャンルは、かなり多くの曲に権力と向き合う苦悩が描かれている。
日本の国は、『民主主義』の国家である。この国の法律は、自分たちが多数決で『選挙』を行い選んだ人が決めるのだ。この国の主権者は『国民』なのである。ただ、日本に生きる人がみんなそれをしっかり感じながら、生きているだろうか。
僕は、決して今の政治についてどうこう言う気は無い。この国で生きる以上、この国の法律には従うし、それを決めているのは間接的にではあれど『自分たち』大人だからだ。
ただ、僕はこれからの社会を生きる子どもたちに少し立ち止まって、じっくり考える機会を与えたかったのである。
現代社会は、すさまじいスピードで変化している。今までの『当たり前』、多くの人たちの『普通』では、どこかの誰かの『生きづらさ』を生み出しているかもしれない。それに気が付けるのは、社会のスピードに遅れないように必死に付いていくだけの人間ではなく、自分から走ったり、止まったり、時には少し道草を食ったりするような『主体的に人生を楽しむ人間』だと僕は思っている。
僕が蒔いた『種』
僕らの『教育者』の仕事は『種蒔き』だ。
これは、僕が何年も子どもたちに言い続けている言葉だ。
僕らは、いつもいつも『きれいな花』(出来上がった完成品)を子どもたちに渡すような仕事をしていてはいけないと思っている。足し算のスキルや面積の求め方、漢字や英単語の『知識』はある意味『完成品』だと思う。
でも、僕ら教師の本当の仕事は『種』を子どもたちの心に蒔くような仕事だと思っている。子どもが自分で土を耕したり、水をやったり、周りの雑草を抜いたりしないと『きれいな花』は咲いてくれないかもしれない。しかも、その『種』は先が見えない将来の子どもたちそれぞれの『人生』で咲きほこらないと意味が無い。僕ら大人に出来ることなんてほんのわずかな手伝いに過ぎない。
僕はReggaeという教材に、その爆発力を見ていた。だからこそ、自分から必死になって多くの人にその良さを伝えて回ったし、発信を繰り返してきた。
少しずつ感じる『芽』
僕は、教師を辞めることにしたあの日。自分のこれから進むべき道を真剣に考えた挙句、僕の働く場所の名前を『家庭学習応援施設My Place』と名付けた。僕はこの『場所』に使い方は決めていない。勉強が苦手なら『勉強』をしに来れば良いし、毎日の生活に忙しくてホッと一息付きたいなら『居場所』として使えば良い。学校に行きたくない、行けないなら『フリースクール』として使えば良いし、高校卒業資格が欲しいなら『通信制高校』として通えば良い。『子育て』に悩んだら相談に乗るし、道に迷ったら一緒に考えることだってできる。僕は自分の気持ちに嘘は付けない。今でも『学校』という場所は大好きだし、自分の『教え子』と過ごした日々は忘れていないし、大切に思っている。たった、1学期間にはなってしまったが、異動して過ごした新しい学校の子どもたちのことだって本当に好きだった。
でも僕は、2019年11月15日をもって、『教師』という仕事に幕をおろすことにした。
賛否あると思ってはいるが、決して後悔していない。僕に出来る『教育』のカタチを考えた時、『教師』という枠が自分をおかしくさせてしまっているような感覚があったからだ。
でも、僕は決して『教育者』というプライドを捨てるつもりはない。『教師』ではない立場で、僕に出来る『教育』の発信を続けていきたい。
いつか僕の仕事場『My Place』で子どもと、親と、先生とがみんな一緒になって『教育ってこうすべきじゃないか??』と前向きな議論が行えるような『教育文化』を育てていきたい。
Reggae×教育は完全に僕がこだわって作り出した一つの形だと思っている。この『種』がこれからどんなカタチで芽を出すかは僕にもわからない。『教師』を辞めても僕は一生『教育者』であることには変わりない。明日も、またその次の日も『教育』について真剣に考えながら生きていくつもりだ。僕にとってもこの場所がどことも変えることの出来ない『大切な場所』なのだから。
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