僕のスマホにはたくさんの教え子の連絡先が入っている。
何か困ったことがあれば突然連絡が入る。
昨日はある子が「〇〇くんの妹が鉄棒の前回りが出来ないらしいんだけど…」仕事を一旦アルバイトのこれまた教え子に任せて公園へ行く。
30分ほど練習に付き合い、また明日。結局今日も昼間にその子の鉄棒練習に付き合った。そしてまた一人教え子を増やしたのだった。僕はこの位ラフに使ってもらえる『便利な教育者』として使ってもらえる人生を選んだわけだ。教育は『今日行く』なのだから当然かもしれない。
ある卒業生からの1通のLINE
僕が以前にSNSに投げた質問への回答だった。
みんなが小学校で受けた『Reggae×教育』の授業の感想を今振り返って送ってくれる人は送って!という唐突なお願いに快く返信をくれた。
RAY君の歌を聞いてから、私は「表現者」というものに興味を持つようになりました。
大学1回生の教え子からのLINE
私には今、好きな世界的ダンスパフォーマンスグループがいるのですが、その人たちもダンスを通して表現をする「表現者」です。
私がこのように「表現者」というものに興味を持つようになった一番の理由は、自分の伝えたいことを作品として残していく姿がカッコいいと思ったことです。そして、その始まりがRAY君で、小学校で実際にRAY君の歌を聴けたことは、私の視野を広げる一つの大きなきっかけになったのだと思います。
なので、今小学生である弟にも、できれば今のうちに何かのきっかけになる体験をしてほしいなと個人的には思っています。
とても嬉しい返信だった。
僕は、決して『Reggae×教育』の授業を自分の好きな音楽を押し付けたり、広めたりする意図で行ったわけではなかった。
知らないこと、考えたことの無いことに出会わせ、それぞれの『人生』をより鮮やかに彩るためのきっかけを提供する。そんな『種』を蒔くつもりで僕は授業をした。そして、たった一人の声であってもこうして返ってくる。だから僕は『教育』の世界から抜け出せずにいるのかもしれない。
全ての子どもにバシッとはまる教育なんてありえない。
賛否両論なんてあって当然だと思う。
こうやって一つの音楽を通してたくさんの『出会い』が僕には生まれた。もしかするとこうした発信をすること自体でも誰かの何かに『種』が蒔けるかもしれない。
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