2019年11月。僕は『学校の先生』を辞めた。
子どもと授業をすることも毎日遊んだり話したりすることも大好きだった。お家の人とお話することも、悩みを聞くことも大好きだった。
そして昨日、2021年11月。2年の時を経て小学3年生の子どもたちに向けてゲストティーチャーとしてタッチラグビーの授業させてもらえる機会をいただいた。僕が教師を辞める前に『したかったこと』がまた1つ実現した瞬間だった。
僕にとって体育の授業をすることは、どの教科授業よりも一番自信があった。なぜなら、教員時代一番授業研究に時間を費やした教科が体育だったからだ。別に何の教科でも良かった。通信制の大学で教員免許を社会に出てから取った僕には最初『専門』と言われるものは何一つ無かった。だが、先輩に恵まれ、先輩の後ろを金魚のフンのようについて回っているうちにいつしか『体育』の授業研究に時間を使うことが多くなってきた。
ただ、大きく2つ体育を専門的に学ぼうと決めるに至った先輩の言葉がある。
・体育が唯一45分で知育・徳育・体育を育てることが出来る教科
・別に君が何でもできる必要はない。君は指導者。子どもに何でもできるきっかけを渡せたらそれでいい。
正直、僕は子どもの頃『体育』が得意だったわけではない。でも、僕のように『得意』でない子どもの感じる気持ちは痛いほどよくわかっている。僕は僕にしか見えない世界を通して『体育科教育』のスペシャリストになりたいと思うようになった。
ただ一方で、体育の授業と同じレベルで国語や算数、英語を突き詰めることは出来なかった。なので、どの教科でも汎用性の高い『特別支援教育』を勉強するようになったのである。池田の教育の根源にはいつも『体育科教育×特別支援教育』のエッセンスがしみ込んでいる。
さて、話を戻して昨日の話に。
数日前僕のところに1通のLINEが来た。
「金曜日、どうしても人手が足りない。助けて!」
これが教育現場のリアルだ。どうやって工夫をしたって人手が足りていない。それでも子どもはやってくるし、大人の事情を子どもに押し付けるのは良くない。だからこそ必死の想いで先生たちは駆け回っている。でも、先生が足りない。こういうイレギュラーが起きた時、ほとんどの場合が『自習』プリント山盛り大作戦で対応する学校が多いワケだが。結果、お休みした先生は、お休み明けさらなるプリントに目を通す業務が上乗せされてしまう。
だからこそ、僕は今の仕事の形を始めたのだ。公を通さず学校の判断で『呼べる教師と同じクオリティを持つ僕』を使ってもらうことで先生たちを助けるのだ。学校プラス池田。これをすると自治体や学校に大きな予算を割かずに子どもたちの教育の質を高められる可能性があるのでは無いか?というのが僕の考えである。お金をもらわないでそんなことやって1回くらいなら良いけど続けられるワケが無い。との声をいただきそうだが、それは違う。地域で『教育施設』を運営している僕にとって地域の子どもたちが僕を知ってくれることは大きなプラスなのだ。
まず僕がこういう活動をやってみて「それなら私たちもこんなこと出来ます!」「あんなこと出来ます!」と地域にそういった人が生まれてくれば正しく吟味すれば地域に開かれた学校へと一歩前進する可能性も高い。
確かに僕は毎日『学校』へ通うことは出来ない。
でも、僕は学校現場で見て来た。何も起きない時には正直人手は足りている。自治体から制度として配置された人員は確かに助かるもののそれぞれの学校の実情にマッチしておらず、部分的に人手余りを起こしてしまっているところもあるのは事実なのだ。
困った時に助けてくれる場所。僕はそういう場所を子どもにも、親にも、そして先生たちにも用意してやることしか今の教育の難しさを乗り越える術を思い付かない。僕に出来ることはきっとまだまだあるはずだ。そんな想いや僕の過去に感じたことをまとめあげて本にしていきたい。
1,000冊支援が集まらないと出版すらされないプロジェクトです。是非一度読むだけでもプロジェクトページを読んでもらえるとありがたいです!!
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