今日は、昨日の内容と少し似ているが『文字』についての話を書きたいと思う。
みなさんは、タイトル画像にある『Zero塾』という『文字』をどう『見る』だろうか?
僕には、どう見たって上手で正しく映っているのだが、よく見てみるとZの終わりが塾の字の一部になっており、厳密には『間違い』であるという方もいるかもしれない。
今日はそんな『文字』と学校教育についての話を書きたい。
僕が信じる『文字指導の在り方』
いつものことではあるのだが、今日も「僕はこう考えますよ。」ということであって誰が正しいかとか、誰が間違っているという問題では無いのでその辺りは理解いただいた上で読んでいただきたいと思う。
ただ、少し前の話にはなるが僕の目の前には『漢字指導』に苦しむ我が子がいたし、これをわざわざ読んでくれている人がいるならば、真剣に『漢字指導』についての意見を書いておきたい。
さて、みなさんの中に小学生や中学生の時、学校の先生に、自分が書いた文字を直された経験がある人はいないだろうか?僕にもその経験が何度となくある。
ただ、今も結構なクセがあり、決してキレイな字にはなっていない。こんな僕が、行き過ぎた『漢字指導』は百害あって一利無し!!と叫んでも、「そりゃあんたは下手くそでいいと思っているから…」という意見が聞こえてきそうなので、今日は敢えて参考資料も引っ張ってきて『論理的』に進めていこうと思う。
今日取り扱う資料は、
①平成28年2月に出された、文化庁主導の文化審議会国語分科会による『常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)』
②2020年度から本格実施されることになった、『【国語編】小学校学習指導要領解説』
の2つである。
あくまで今日の話題は、僕の持論だけでは無く、日本の国のど真ん中で「社会はこういう捉えで動きましょうね。」と示されたものと、「日本の学校はこうやって進めましょうね。」と示されたものであり、公立の学校という場所では、それを前提に進められて当然だというスタンスで話を展開したい。
①常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)によると
これは、もう5年以上前の話にはなるのだが、すごくザックリ説明すると「印刷の文字と手書き文字はめちゃくちゃたくさんあるから、そのおおもとがズレていなかったら、それは間違いとは言えないよ。」って指針を出したわけだ。
これは1つに、この日本の社会では様々な環境、状況の人が暮らしているのだから、細かい「はね」や「はらい」によって『間違った文字である』と判断してしまわないようにしましょう。という意図から作られたものである。
よく言われる話で言えば『令和』という文字は印刷する文字ではこう書くが、手書きでは下の部分をカタカナのマと同じ形で書く人がいるけれど、どちらも間違いではないということなどがこの指針で示されているのである。
『日本の社会』における文字のスタンダードはここに示されている。
指針の中には、『当指針の活用が期待される分野』として
字体・字形に関わる観点から,学校教育を中心とする漢字の習得と一般社会における漢字の運用とを円滑につないでいくことは,重要な課題である。漢字の習得と運用は,学校教育と一般社会とのつながりの中で行われており,その基盤となるのは,常用漢字表である。常用漢字表は,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用 いられるとともに,小学校,中学校,高等学校の教育課程を通して学習する漢字の範囲ともなっている。同様に,漢字の字体・字形についての考え方に関しても,常用漢字表に示された「字体についての解説」が目安とされることが望ましい。そのために,当指針の内容が社会一般に行き渡り,特に,教育関係者が持っておくべき基礎的な国語の知識として共有されること,さらに,不特定多数の人々を対象とするような入学試験,採用試験,各種の検定試験等において,漢字の字体・字形の正誤を判断する際の統一的なよりどころとして活用されることが期待される。
文化庁主導の文化審議会国語分科会による『常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)』
また,行政機関や金融機関等など訪れた人が,窓口等で姓名や住所等を記載する際などに生じる字体・字形に関する問題の解決も課題の一つである。戸籍や住民基本台帳等に関する窓口業務の現場で字体・字形に関する問題が生じた際には,これまでも,常用漢字を対象とした「字体についての解説」が参照されている。特に,窓口等を訪れる人が明朝体のデザインの違いや手書きの楷書と明朝体における表し方の習慣の違いなどについて疑問を抱いた際には,この解説を示すことで解決される場合もある。
と書かれており、「画一的な漢字指導を否定はしないけど、知っておいてね。」と書かれているわけだ。
②【国語編】小学校学習指導要領解説によると
では、『学校』はいかにして『文字』を書くことを捉えているのだろうか?学習指導要領の中には、第4章指導計画の作成と内容の取扱い 2内容の取扱いについての配慮事項の部分で
児童の書く文字を評価する場合には,こうした考え方を参考にして,正しい字体であることを前提とした上で,柔軟に評価することが望ましい。
【国語編】小学校学習指導要領解説
一方,漢字の学習と書写の学習とを考えたとき,文字を書く能力を学習や生活に役立てるために,文字を正しく整えて書くことができるよう,指導の場面や状況に応じて一定の字形を元に学習や評価が行われる場合もある。指導に当たっては,字体についての考え方を十分理解した上で,生涯にわたる漢字学習の基礎を培うとともに,将来の社会生活において漢字を円滑に運用できる能力を身に付けていくことができるよう配慮することが重要である。
サクッとまとめると。指導上、1つの字形を元に指導するのは良いんだけど、一生使うものなんだからそこんとこヨロシクね。
と書いてあるわけである。
そして僕は今何を思うか…
僕の先輩である先生が、『漢字の宿題だって子どもの作品なんやから、俺らが邪魔しちゃあかんやろ。』と隅の方に印だけ入れるんだという話を聞いたことがある。
僕ら『教育者』には、「間違いは正してやらねば!」という『正義感』がある。僕にだってこれは同じだ。ただ、『待つこと』も教育だ。
『知識』や『技能』は豊富なことに越したことは無い。
でも、全員が全て完璧にこなすべき内容とは言い難い。ましてや、毎日『自分が精いっぱい書いた漢字』を血まみれにして返されたり、傷口を見つけては針でほじくったりを繰り返された子が、「今日はいい字を書いてやろう!」思うだろうか。
僕だって人間だ。キレイな字で書かれた手紙にはグッと来るし、素敵だなと思う。見たこと無い人であればどんな人かな?と想像するだろう。
ただ、『文字』にしてもそう、『話し言葉』にしてもそう『適時期』と『伝わりやすいタイミング』っていうのがそれぞれ違うと思う。
大好きな誰かに贈る手紙には『想い』が乗るだろうし、何度も書き直すかもしれない。ここぞという時の『書類』には細心の注意を払うだろうとと思う。問題は毎日同じ方法で何度もダメ出しされることが儀式的に行われて、その結果が子どもの成長の根っこにある『意欲』をむしばんでいるということだ。
僕は決して『漢字指導』を熱心にしている先生を否定する気などサラサラ無い。ただ、こういう『流れ』を全て配慮したって、それを上回る教育的効果があると客観的に見ても言えるなら続ければいいと思う。
現に以前我が子の『鉛筆の持ち方』はどんどんいびつになっていっていた。『直しをされないこと』が目的になり手首はガチガチだった。覗き込むように取り組む姿勢は決して効率的な字の書き方だとは言えなかった。
小学校、特に低学年の子どもは発達による差はとても大きい。それぞれに合った筆記具や、机椅子、環境を『学校』で作り出すことはなかなか難しい。ただ、簡単に作り出せるものは『張りつめていないで済むような空気』だ。
もし、今日もまた、どこかで泣いている子がいるなら僕に手紙でも書いて欲しい。そこに『誰か』がいるならば少しずつ『文字』は良くなるはずである。
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