学校の先生に感謝するべき3つの理由

教育・教師

学校という「特殊な現場」で働く先生たちへ

僕は、かつて学校で働いていた。

当時はその重さを半ば「当たり前」として受け止めていたけれど、今振り返ると、学校という場所は本当に特殊な環境だったと思う。

だからこそ、今ははっきり言いたい。

今の学校で働いている先生たちには、もっと敬意が払われるべきだと。

僕は昔から、行動や制度には疑問を投げるけれど、人の人格を否定しないと決めている。

日本の教育環境には変えるべき点が多い。

でも、減点方式で誰かを責め続ける風潮の中で、一番消耗しているのは、現場の先生たちだ。

今日は、かつて教師だった一人として、労いの気持ちを込めて書きたい。


① 時代が激変しても、学校の役割は軽くなっていない

僕は今年で36歳になる。

小学生だった頃の世界と、今の子どもたちの世界は、正直、比べものにならないほど違う。

あの頃、僕らが夢中になったスーパーファミコンよりも、今の子どもたちが持ち歩くスマホの方が、はるかに高性能で、刺激的で、便利だ。

今の子どもたちは、お金をかけなくても、いつでも、どこでも、中毒性のある娯楽にアクセスできる。

そんな時代に、限られた設備、限られた予算、昔とほとんど変わらない環境の中で、「学校は楽しい」と感じられる時間をつくっている。

冷静に考えて、これは本当にすごいことだと思う。

「友だちに会えるだけで学校は楽しいはず」

そう簡単に言えるほど、今の環境は単純じゃない。

だから僕は、「今日は楽しかった」その一言が出るだけで、もう十分に価値があると思っている。


② 暴力に頼らず、配慮を求められる時代で

僕は子どもの頃、教師から暴力を受けたことがある。

当時ですら許されていたわけじゃない。

でも、「そういうもの」として処理されていた時代だった。

知識がなかった。選択肢がなかった。

それがどれほど理不尽か、言語化する力もなかった。

今は違う。体罰は許されない。

発達特性、個別配慮、多様な背景への理解が求められる。

その一方で、業務は増え、責任は重くなり、裁量はむしろ狭くなっている。

暴力に頼れない中で、一人ひとり違う子どもたちに向き合い、大量のルールと制約の中で仕事をしている。

これは感謝されて当然の仕事だと思う。


③ コロナ禍で浮き彫りになった「学校の価値」

コロナによる休校で、多くの大人が実感したはずだ。

子どもが一日中家にいる生活の大変さを。

仕事をしながら、生活リズムを整え、学習を見守り、感情のケアをする。

それを、これまで社会は、かなりの部分を学校に委ねてきた。

そんな中で、先生たちは、感染リスクを抱えながら、自分の子どもではない子どもたちに向き合っている。

給料が下がっていないから補償はいらない、そんな単純な話ではない。

心配事も、負担も、確実に増えている。

それでも、「やってもらって当たり前」「できていない先生は能力が低い」

そんな目で見られる空気がある。僕は、それが本当に嫌だ。


教師という仕事に、もっと敬意を

学校の先生は、完璧な人間じゃない。

でも、誰かの未来に本気で関わっている。

制度は批判していい。

やり方も議論していい。

でも、現場で踏ん張っている人をすり潰す社会にはしたくない。

もし、これを読んでいる先生がいるなら、本当にお疲れさまです。

緊急事態宣言が明けたら、ぜひ声をかけてください。

元教師の一人として、全力で労わせてください。

それくらいの敬意は、今の先生たちに、間違いなく値すると思っています。

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