最近ある一冊の本に出会った。この仕事について月に5、6冊は本を読むようにしていたが、また一つ僕の心に大きな旗が立てられた。そんな気持ちになるような本であった。
すごくセンセーショナルなタイトルだが、そこに書かれたメッセージにはすごく考えさせられた。
表紙には
よかれと思って、詰込みすぎて…
教育熱心と教育虐待、
ボーダーラインはどこにある?
やりすぎ教育 商品化する子どもたち /武田信子 表紙より
正直、こういうことを言われてしまうとついつい耳を塞ぎたくなる人が多いのではないだろうか?
僕は教師を7年半やってきた。きっと僕自身も筆者の言う『エデュケーショナル・マルトリートメント(教育虐待)』を行ってしまっている側の人間かもしれない。我が子にも、仕事で関わる子にも『愛情』や『情熱』を持って関わっているつもりだが、その温度がもしかすると誰かに対しての『虐待』になっていってしまっているのかもしれない。
虐待なんていう言葉を出すとゾッとしてしまい聞く耳を持とうとしない。「いやぁそれは言いすぎでしょ…」とことの本質から離れてしまうような人もいるとは思うのだが、本書では、
エデュケーショナル・マルトリートメントという概念は、親や教員という個人の責任追及のための概念ではなく、社会の価値観が生む現象として社会全体で対応に取り組み始めるきっかけとなる概念として広がらなくてはなりません。
やりすぎ教育 商品化する子どもたち /武田信子 より
と書かれている。
是非是非読んでもらいたい本なので、以下にはだからMy Placeはどうしていくのかを改めて整理したいと思う。
・人生100年時代だからこそ『学び続ける人』へ
・将来の不安への学力信仰を整理する
・今を犠牲にすることによる、将来へのダメージを知る
・遊びの大切さを改めて提案する
・『数字ではない安心できる教育環境』を確保することの意味を発信する
先日、これからの自分の住む街をどうしていきたいかという議題で何人かの方とお話する機会があった。
僕はその中で必要なものに『余裕』を提案した。
確かに僕らはこれからの世の中のことが予想できない。答えの無いからこそ悩む。だけれど、子どもも大人も忙しく気が付けば一日が終わり、気が付けば一年が過ぎる。大切ない『今』を考え、意見し、行動する時間もエネルギーも残っていない人もたくさんいるのではないだろうか?My Placeは『学習施設』では無く、あくまでも『教育施設』だ。そして、『矯正を目指す施設』では無く『共生を目指す施設』だ。利用者の方にとって丁度よい距離感で使ってもらい、必要が無くなれば離れてもらうことだってできる場所としてこれからも西宮市の名塩という小さな田舎町でやっていこうと思う。まだまだ未完成でまだまだ成長段階の家庭学習応援施設My Placeを今日もまた知ってもらえるように発信していこうと思う。
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