第1章(仮)を公開します!

教育

 突然始めたクラウドファンディングですが、毎日支援者のメールが届く度に心が温まる一方で、まだまだ多くの人に知ってもらう努力をしないとなと感じています。

 そこで今日は、僕が今回の挑戦に当たり第1章(案)としてExodusに書類審査で送った文章を公開しようと思います。もちろん、これは単なる素人の僕が書いただけの文章なので、プロジェクトが成功した暁にはここに編集の方の手が入りより良いものに調整がかかるのですが、どんな想いで書いたのか?という温度が伝わればもしかすると「読んでみたいな。」と思っていただけるのではないかと思い、公開してみようと思います。

 もしこの文章を読んで「続きを読んでみたいな。」と思ってくれた方が居れば、支援、拡散に協力いただけると嬉しいです。

第1章(仮)

 みなさんにとって『学校』とはどんな場所ですか?

 この言葉にスパッと「楽しい場所!」と答えた人はどれくらいいるでしょうか?
 僕の予想ではそうたくさんは居ないのではないのではないかな?と感じています。

 インターネットの世界をウロウロしていると『学校』『教育』『先生』などの検索ワードで引っかかって来るものは決して明るい話題ばかりではありません。『ブラック校則』『ブラック教師』という言葉が子どもたちや親たちから溢れている一方で、学校の先生だろう顔を隠したアカウントからは『ブラック労働』について語られている。それが今の日本の現実です。
 僕は数年前まで7年半『小学校の先生』をやっていました。
 なので、自分の経験からもインターネットに書かれているようなことが現実にあるということは十分理解できてしまいます。

 でも、みなさんには意外なことかもしれませんが、学校は結構『自由な場所』でした。

 賛否はあるでしょうが、僕は教師時代Tシャツ短パンで1日過ごしていましたし、金髪にしていた時期もありました。

 これには理由がきちんとあって、企業のように明確な服装のルールが無かったからです。ほとんどの先生はピシッとした格好で過ごしているのが当たり前でしたが、僕みたいに思いっきり変わったことをしていくと批判されることもありました。ですが、少しずつ周りの先生の服装も変わっていったのを感じました。金髪の僕がいる以上多少明るめの髪形にしようとその人に文句を言う人はいません。ジャージで通勤しジャージで退勤する人が居たってその隣にタンクトップで短パン履いて、校区にある自宅から音楽を聴きながらやってくる僕が居ればまず誰も何も言いません。

 もちろん、そんな僕でも今日は襟のある服が良いかな?とか、今日はスーツにしておいた方が良いなという場所に行く時は着替えて行くこともありました。
 ですがこれまた面白いことに、それを見て「自分を貫け!逃げるな。」という先生が居たのです。僕はこれにはずいぶんヘンテコな批判だなと思っていました。僕は別に反発したいわけでも、マナー違反をしたいわけでも無かったからです。単純に動きやすくで自分の好きなファッションで過ごしていただけなのです。小学校の教師という仕事は毎日子どもと走り回ったり、校舎を端から端まで動き回ったりする仕事です。僕にとっては教師としてまっとうな仕事をするための適切な服装がそれだっただけなので、他に意味なんてありません。

 僕の中には学校という場では、どの人にも権利と自由が確保されているべきですよね。と意識があり、ルールに無いことは人を傷つけたりしない限りは自由にさせてもらっていたというすごくシンプルな行動だったのですが、人と違うことをすると『反発』『異端』としてしまう先生が実際にはそこそこな人数居たのです。
 もしかすると、その思考で子どもと関わっていけば、子どものちょっとした『行動』が先生の琴線に触れた時、『問題児』『問題行動』になるのかもしれません。

 これは完全に笑い話ですが、僕が教師2年目の時に先輩の先生から言われたことがあります。
「池田くん、これは確実に君のことが書かれている記事やというネットの書き込みを見つけたぞ。」と携帯でその記事を見せてくれたことがあります。
 その記事は、利用者がそれぞれ学校の口コミを書き込むサイトで、一小さな田舎町の小学校に必要性がどこにあるのかはわかりませんが数件の書き込みがありました。そこにはバス通学のある学校であることや、実際の事実が書かれていたので書いた人には素直な意見だったのだと思います。
 その項目の一つに『教師』という項目がありました。そこには『とんでもない格好をした教師がいる。教師の教育も出来ない学校です。』と書かれていました。自分で言うのも悲しい話ですが、恐らくこれは僕のことだったのだろうと思います。しかも、この書き込みに嘘が無いとすれば僕はこの方の子どもを担任したことがありません。

 もちろん、僕からするとなるほどそうですか。と思うのですが、これが日本の現実なのです。
 自由に制服の決まりもない子どもたちに見せる姿まで縛り付けておいて欲しいという大人が確実にいるのです。別にそんなに困るなら学校に直接言ってくれればお話も出来るのですが、僕は学校の中で一切その手の話を直接言われたことがありません。実際には、そういう声が出ていたようですが、僕を守ってくれる先輩たちが僕の耳に届かないように「あいつの格好をどうこうするよりも今の働き方をしてくれた方が良いんだ。」と守ってくれていたようです。(こういう話は後々僕の耳に届くのですが本当にありがたい話ですよね。)

 それもあってか、こんな働き方をしていても7年半の間、お家の人に直接お叱りを受けたことはありませんでした。みなさん、最初は不思議な表情をする方もいましたが、自分の考えをはっきり示すと優しく受け入れてくれましたし、逆によく頼ってくれることもあり、働く年数が増えるたびに、普段は聞くことができなかった複雑な悩みを教えてくれることもありました。

 色々な声を拾い上げる度に僕は何とか『学校の先生』という立場で出来ることを考えるのですが、みんなのための公立の『学校』には動きにくいルールが多すぎて子どもや親を救いたい時にすぐ救える体制が取れないストレスが年々増えていくのを感じていました。

 外から聞こえてくる意見や気持ちを一生懸命に吸い上げて『学校』を変えようとしても「一人のためにそこまでできない。」「一を許せばみんなが好き勝手言う。」というような意見で会議の中で話が立ち消えることを何度も経験しました。

 それでも時々突然『学校』が変わることがあります。それは、国や自治体の命令や通知が出た時地域や家庭からの要望があった時です。

 毎日寝る時間を削って、休憩時間もまともに確保されないくらい子どもを眺めて絞り出す実態を考慮した意見は平気で消えてしまうのに、その姿を見ても無い人の一意見でコロッと変わるのが『学校』なのか?当時の僕にはそう感じてしまうほど余裕がありませんでした。

 だけれど、僕は教師の仕事をしていて素敵な先生や子どもたち、その家族のおかげで『学校』という場所が大好きになりました。

 でも、『学校』という場所をどの子にとっても安心して楽しく過ごせる場所にするには、まだまだ変わる必要があるのではないかとも思っています。

 学校の中で色々試してはきましたし、数多くの素敵な先輩方も何度も『学校』の当たり前を変えようと戦ってこられたことを何度もお酒の席で聞かせてもらったことがあります。とは言え、僕の親ほどの年齢の先輩が人生を掛けて熱く、丁寧に長きに渡って動き声を挙げたにも関わらず、その考えがなかなか広まっていかないのが実際です。

 僕には先輩方のような人徳も知識もありません。

 あるのは思いついたことをとにかくやってみる『行動力』くらいのものです。

 きっと『学校』を変える力があるのは『先生』だけではありません。

 一般市民が声をあげ、動き出した時『学校』はより良い姿に成長すると僕は信じています。

 この本が、どこかの誰かの動き出す『きっかけ』になれば幸いです。

 そしていつかこの日本の教育がどの子にとっても「うーん。まぁ色々あるけれど毎日何だか楽しくて幸せだよね。」と胸を張って言えるような環境になることを目指して進んでいく一歩にしていきたいなと思います。この本は僕がそんな考えに至った教師での想い出話や、今のお仕事の話を気楽に書いていきたいと思います。肩ひじ張らずにページをめくってもらえるといいなと思います。

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