自粛警察増産装置にならない『教育』を

教育

 コロナ禍によって現れた『自粛警察』。その後『〇〇警察』といった具合で独自の価値を振り回して取り締まろうとする人をこうまとめた。(いや、そもそも警察に対するイメージ…)
 僕は教員時代この『自粛警察』的な子どもたちの姿によく出くわし繰り返し『大切なこと』は何だい?と問いかけることを続けていた。僕はそんな毎日を続ける中で『ルール作り』の重要性を感じたし、そこにきちんと『教育』が向き合わなくてはいけないなと感じていた。
 また、僕は、たった1年だけではあるが、特別支援学級の担任として学年の違う8人の子どもたちの担任をしていたが、交流学級として通常学級の子どもたちやクラスに入り込む中でこの『自粛警察的子ども』たちの存在を何度も見て来た。
 今日は僕が出くわした『自粛警察的子ども』たちの様子とその減らし方を紹介したいと思う。先に言っておくが、この記事は別に誰か個人を攻撃したり、学校を攻撃する趣旨のものではなく改めて一緒に知恵を搾っていきませんかといった提案だと思って欲しい。

1.「先生、〇〇が…」

 僕がある3年生を担任していた時のことだ。
 前年には6年生を担任していたこともあり、「ずいぶん幼いな。」と感じていたある日のことだ。
 「先生、〇〇が△△してるねんけど!!」とすごい剣幕で言いに来る子が居た。その時間は休み時間だ。確かにその行動は他の子はやらないようなことだったし、不思議な行動ではあった。だが、大して誰かに迷惑を掛けるような行動では無かった。ただ、僕のところへ来た子は明らかに不機嫌だ。怒っているようにも見える。
 僕「なるほど。で、誰かが困っていたの?」  子「いや。」
 僕「嫌な気持ちがしたの?」         子「いや、別に。」
 僕「何でそんなに怒ってるの?」       子「いや、みんなやってないし。」
 僕「今は休み時間だから自由じゃない?」
 明らかに最初の温度が消えた。
 僕「何でそんなに腹立ってたんやと思う?」
 子「2年生の時にみんながそれぞれ好きなことしたら、困る人が出てくるって言われたから。あかんと思って…」
 僕「なるほど、まぁでも、もしも困ったら困った時に考えればいいし、誰かが傷ついてたら助けてあげよう。基本的に休み時間はルール違反じゃなければ『自由』ってことにしよう。そうしないとみんな疲れちゃうから。」
 何となく物足りなそうにしていたが、次の休み時間、その子たちはまた一緒に遊んでいた。
 その後も『同じようなやり取り』は頻発していて、その度に『ルール』と『マナー』の話をしていった。
 そのやり取りで気が付いたのは、子どもたちにとっての『善悪』の判断が自分の中であるのでは無く、『ルール』に戻るのでも無く、『教師が言っていたかどうか』に基づくものが多いということであった。

2.教師だって『人間』だから

 とは言え、『教師』だってロボットでは無い。その日の気分や体調によって伝え方が微妙に変わるだろうし、言い方や周辺の状況によって『言うことは変わる』に決まっている。『ルール』以上にこちらが優先されてしまってはあとあと厄介なことが起こりそうだ。
 教師の方は、これを伝えればこう伝わるだろうと思ったことを子どもたちが拡大解釈したり、曲解することなんてしばしば起こるだろう。

 また、『自粛警察的な子ども』が増えやすいクラスの特徴としてもう一つ見つけたのは、『ローカルルール』が多いクラスだったりする。
 抑圧されたり、我慢したりすると『ルール』に従うことがメインになり、子どもたちは考えなくなる。その結果良し悪しの判断を教師に委ねるべく「先生、〇〇が…」を言いに来るのである。人は自分たちの『我慢』や『ストレス』をシレっと『自分以外の誰か』にぶつけに行ってしまうのかもしれない。『私だって我慢してるんだからエネルギー』ってヤツは『行き過ぎた正義』を生み出すのではないかと思う。
 ただ、気を付けなくてはならないのはこういう『ルール固め』に慣れている子は、教師が取り合わないと気が付けば今度は陰でこっそりと『だって自由なんでしょ。』と判断を失っているとも気が付かずに暴走することもあり得る。
 それもあったか、教師の中には、本意では無くても『抑え込まなくてはならないというプレッシャー』から『虚勢の厳しさとルール地獄』を生み出す人が生まれてしまうのかもしれない。

3.食い止める2つのポイント

 この『自粛警察増産装置』的なコミュニティーを作らないために『教育』を見直すポイントは僕は2つだと思っている。
 それは、『ルール』と『チームワーク』だ。
 まずは、学校全体で本当に必要なもののみに精選した『ルール』を検討し直すことが大切だと思う。
 必要が無いのに「こんなことが起こってはいけないから…」とマイナスばかり予想するような『ルール作り』では過度な『我慢』や『プレッシャー』が生まれ、そのガス抜きが子ども同士に向き合う可能性がある。
 そしてもう一つは、教師が一人で絶対に何とかしなくてはならないんだという『教師何でも屋文化』を排除し、本来の意味での『チームワーク』をきちんと作り上げていくことが大切だと思う。
 もう、誰か一人では解決できないくらい『教育』は多岐に渡っている。40人の子どもにぴったり合った誰か何てきっと存在しない。「このクラスは私が何とか!!」なんてプレッシャーで押しつぶされてしまっては絶対に誰のためにもならない。

 誰にとっても『心の余裕』は本当に大切だと感じている。
 『学校』は心に余裕を持たせる場になっているだろうか?躍起になって子どもを急かす場所では無いはずである。でも、そうならざるを得ない『システムエラー』があるならば、きちんと向き合い子どもに安心できる場を増やしていきたいなと僕は感じている。

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