子どもが『不登校』になる前にやっておきたい3つのこと

不登校

 僕は小学校で働いていた時、『不登校』の支援について悩みが多くあった。なぜなら、『学校の先生』には『不登校』に対して真剣に支援しようと思っても実質『時間』と『人手』が用意されていないからである。
 今日は『不登校』について書こうと思うのだが、大前提として①『学校』に不当に子どもを苦しめる柔らかさの無いルールが残り続けているケース②『いじめ』や『体罰』など具体的に離れることの方が賢明だと思えるようなことが『学校』にあるケース③本人や家族が最初から『学校』に行くことに必要性を感じず、行ってはないが特に『辛さ』や『不安』を抱えていないケースは今日は論じないことにする。あくまでも今日は「行きたい気持ちはあるんだけれどなぜか行けない。」ということに悩んでいるような『不登校』について考えようと思う。

①学校に行く価値を整理しておく

 もちろん、日本として『教育』や『学校』の在り方は規定している。だけれど、多くの方が見たことすらないのが実際ではないだろうか?別に僕は定義が大切だともそこまで思わないのでここでは割愛するが、それぞれの家庭の中で「何で学校に行くと良いんだっけ?」という頭の整理はしておくべきではないかなと思っている。
 というのも多くの不登校に悩みを持つご家庭の話題は、漠然と『勉強』や『社会性』に対しての不安ばかりが先行して「多少はきつくても頑張って学校に行きなさい!」ということを繰り返してどんどん不安な気持ちが増大してしまうというものが多くあるように思う。これには、僕たちがこれまで『学校に行くことの価値』をぼんやりとしか考えて来なかったことも影響しているのでは無かったからでは無いかと思う。
 僕はこの『価値』は家庭によっても、時代によっても、子どもそれぞれにとっても、家庭全体にとっても様々あるのではないかと思っている。日頃から多くの子どもやご家族が「学校でないと生み出せない『価値』は何だろう?」と考え伝えあう文化はすごく大切だと思う。

「あなたの学校って、〇〇なことが学べるし、××な人と毎日色々な関わりがあってこんな成長をしたり出来ているよね。それってお家じゃ学べないことだよね。」と親が心の底から言ってやれるような文化はとても大切だと思う。逆にもしこういう言葉を掛けてやれないような学校なら意見を伝えることや行動することでまずは子どもでは無く『学校』と家族が繋がることが大切だと思う。

②時代の変化を意識しておく

 子どもは刺激に敏感な生き物だ。小学生や就学前の子どもたちは特にそうだと思う。
 学校で働いていて気付くことがあった。経験値の差は高学年になればなるほど開いているし、高学年になればなるほどやったことの無いことには無関心な子が多いということだ。
 昔はきっと子どもにとっては『文化』の最先端だったのだと思う。顕微鏡があって、ミシンがあって、跳び箱だって学校くらいにしか見かけない代物だっただろう。だけれど今は明確に違う。習い事の専門性は高まり、家でほとんどのことが出来てしまう。教科書や資料集よりも膨大な情報が家で無料で簡単に自分の好みのままに提供される。それが今の日本の現実だ。つまり、『学校』でしか出来ない体験が無意識でいるとどんどん減ってきているのだ。
 『学校』を1つの価値観で『行かなきゃいけない場所』と大人の論理で押し込めようとしても難しい時代がやってきたということだ。

③良好な家族関係に勝るもの無しと知っておく

 多くの子どもたちの『不登校』の悩みは「家族に認められない」というものが圧倒的に多い。今まで当たり前にしてきたことが突然出来なくなると家族も不安になる気持ちはよくわかる。でも、僕は自分も精神的に不安定になった時期がある者の一人として声を大にして言いたい。もしかするとその時こそ考え時なのかもしれない。今まで無意識に通っていた『学校』というもののどんなところに自分のSOSが出ているのかをきちんと考えることはこれからの長い人生においては有効なストレスマネジメントの方法を手に入れるとても大事な転換点なのではないか。とも考えることができるかもしれない。
 逆に、朝起きて給食食べて帰ってきてくれれば何でも良いくらいにしか思っていなかったとしたらそれは『教育』を甘く見過ぎているのかもしれない。『学校』という場所は、強制力でもって託児所代わりに使う場所では無いのだから。

 少し言い方がきつくなっていったが話をもとに戻そう。僕個人として一番大切にしたいことはこの③である。『学校』に行かないことは人と会わないことや学習リズムを失うことという意味で一見とてつもない『不安』に思えることであるかに見える気持ちはよくわかる。だが、それは間違いだと僕は思っている。今世の中にある多くの『学校』は数年行かなくなったことで人生を大きくストップさせるほどのメリットを提供できるほどの余裕が無い。つまり、『学校』という文化自体忙しすぎて多くの子にとって機能停止してしまっている事実が現実にあるのだ。もちろん、多くの学校の先生方によってカバーされている部分は否定しないが今や日本の『学校教育』は手放しで上手くいくほどの状況ではないことは嘘ではないのだ。

 つまり、『不登校』になったこと自体よりも多くの子どもや家族を見ているとそれによる『不安』のぶつけ合いから起こる影響で家族関係や生活リズムなど本来の生きていく上ではよほど大切なエッセンスを失うことの方が問題なのである。だからこそ、きちんと相談相手を確保しつつ『家族関係』こそ大切にして欲しいと思う。

『不登校』だけで選択肢が無くなることは無い!

 どれだけ冷静な時にこういうことを言っても多くの家族にとっては「いやぁ、学校なんて私だって好きじゃなかったし、言って聞かせりゃ行けるでしょ。要するに甘えているだけでは?」としてしまうことかもしれない。実際には学校の先生の中にもそういう人が居たのも事実だ。でもそんなに簡単なものでは無い。日本の教育における『不登校』は長い歴史の中でもなかなか解決の糸口の見えない大きなシステムによる問題なので一個人の根性勝負でどうこう出来る問題でないことは理解しておかなくてはならない。

 突然我が子が「学校に行きたくない。」と呟けば心配もするだろうし、不安にもなるだろう。でも、高校受験があろうが、テストがあろうが、『学校』という場所は辛く苦しみながら歯を食いしばって行くような場所じゃない。今はインターネットがある。勉強にしても、生活経験にしても、コミュニケーションにしてもネットを介していくらでもできるのが現代社会だ。高校も大学も働く場所も今や色々なデザインが許されている時代だ。だからこそ、もし心配なことが起こっても無理はせず、前を向いて楽しんで人生を過ごしていって欲しい。

 

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