『ストレス』を敢えて作る必要はあるのか?

不登校

 最近こんな話を聞いた。
 「あるカウンセラーさんから、ストレスになるものから逃げていたら良くない。苦手でも頑張らないと…」といった趣旨だ。
 僕は心理の専門家でも何でもないのでこの言葉の学術的な是非はよくわからない。ただ、僕は大前提ストレスになるものからは「逃げ」たって構わないと思っている。ましてや『子ども』なんだからどんどん『避難』したら良いと思っている。

 というのも『子ども』のストレス因になっていることのほとんどは勝手に大人が決めたものばかりであることが多いからである。

 そもそも、僕らはどれだけ生活の中から『嫌いなこと』や『苦手なこと』を取り除いたって次から次へと『ストレス』はやってくる。家族とのやり取りが負担になる日もあれば、日頃の生活の何気ないやりとりが負担に感じる日もある。体調がすぐれない日には負担に感じる日もあれば、何も感じない日もある。

 つまり、『学校』に行くことが『ストレス』になる子に対して「頑張れ!サボるな!」と言ったってそれは単純に『支援者の敗北』であって、子どもがどうこう気持ちだけで変わるものではない。子どもの気持ちを変えたいなら『仕組み』にもっと工夫をすべきなのだ。

 僕は昔熱いお風呂が嫌いだった。銭湯のお湯の温度は結構熱い。ぬるいと書いてあるところの方でもちょうど良かったのを覚えている。昔から熱いお風呂にも肩までつかりなさいとよく言われたものだ。どれだけ熱いお湯に浸かっていても気持ち良いとは思っていなかった。ただただ『熱い』とだけ感じて我慢しながら入っていた。『ストレス』でしか無かった。

 では今はというと銭湯のお湯を僕は気持ちよく感じている。
 僕は何か『努力』をしたのだろうか?唯一していた努力と言えば毎日欠かさず風呂に入ったくらいだが、毎日入っていたから『気持ちよく』感じるようになったのか?と聞かれればそれは違うと思う。体が成長したから感じ方が変わったというのが正解だと思う。

 『子育て』や『教育』には時間が掛かるし、全てが繋がっている。だからこそ僕らは正しい『ストレスとの付き合い方』を教えてあげなくてはいけない。はっきりと教えられていないのに『本人のしなくてはいけないこと』に仕立てあげて押し付けることは避けなくてはいけないと思う。

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