応援されるためのスキル

雑記

 世の中において、『無条件』に親から助けを得られている子どもが溢れている。ある意味、親が望んで生まれてきた子どもなんだからそりゃそうだろ。という意見も多いかと思うのだが、最近この『無条件』であって良いのか?という疑問が生まれてきている。
 今日の記事は、僕の頭の整理的な記事なので「こうじゃないのか!!」という強い意思表示は出来ないと思うが、こういう人に是非読んでもらいたい記事だ。

  • 少し自分の意思がはっきりしだした中高生
  • 思春期の子育てに悩む親のみなさん

 さて、本題に入っていこう。
 僕がなぜ『無条件』に親からの助けが得られるべきなのか疑問が浮かび上がったか?理由はいくつかある。それは、主に次の3つにある。

①子どもの社会的地位が上がってきた 

 これは社会にとっては良いことだと思うのだが、子どもが一人の人間として尊重される傾向へと社会が変化している。学校に行く時は「先生の言うことよく聞くんだよ!」と送り出し、学校では「親の言うことをしっかり聞け!家族を大切にしろ!」と言われて1日を過ごすような時代ではない。子どもにも一人で抱え込まず何でも言うんだよ。というメッセージが伝えられ、基本的に子どもは『肯定されるべき存在』という認識が広がっている。「子どもを叱ってばかりの自分は良くない親だ…」「わが子とどう接して良いのかわからない…」なんて声も聞こえてくる。子どもを『否定しない』というメッセージが回り回って判断が未熟な子どもであっても全てを受け入れろ!というような、大人からの助言や指導までも否定するようなメッセージに聞こえてしまうような発信もある時代にもなっている。
 こういった環境が生まれたことをきっかけに『何でもあり』が生まれている子がいるなら僕は無条件に助けるべきなのか?という躊躇が生じる。

②親の味方が圧倒的に少ない 

 親という『立場』になるとやんわり感じることがある。
 社会には、『親』という立場に対する『味方』が圧倒的に少ない。
 例えば、仕事をとってみてもそうだ。子どもに何かあったから、簡単に休めるか?仕事が遅くなってしまったからといって子どもの世話や迎えは誰もしてくれるわけではない。仮に『時短勤務』が実施されても、『職場』全体の業務量は変わらない。すると誰かが『仕事』を減らすということが誰かの『仕事』を増やすに繋がる。結果、精神的安定に繋がらないなんてケースも多々起きている。
 親が羽を伸ばして友だちとリフレッシュしたいという気持ちは極々自然なことだ。実家に預ける。パートナーと協力する。それが出来ない人にはリフレッシュする余裕すら与えられない。挙句の果てに居酒屋に子どもを連れて行った日には「こんな時間に、こんな場所に、子どもたちを!!」という価値観パトロール隊の餌食になったりもする。こんな困難を乗り越えて子育てをする社会で、上手くいかない時にも親が一方的に子どもを助け続けるべきなのだろうか?

③個が繋がる時代になる 

 インターネットの登場で社会のスピードは激変した。と言うよりも、『激変させたい人へのチャンスが開けた』という方が正しいかもしれない。さらにコロナによって『働き方』にもメスが入った。『会社』で働くという選択肢のメリット、デメリットが浮き彫りになった時代に入っていったという感じだ。これからの僕たちが生きるべき時代は『大きな枠組みの中にすっぽりハマって切磋琢磨して個を殺していくことで得られるメリット』よりも『存分に個を発揮して、そういった個と上手く繋がってお互いに応援し合える関係を組むことのできるメリット』の方が大きくなるだろう。『無条件』でメリットが得られる社会になってはいかないはずだ。つまり、『無条件』で助けてくれる安心できる関係が当たり前に手に入る社会ではないのにそれを覚えさせることは危険なのかもしれない。

 だから僕らはどうするか?
 子育て、教育に身を置くと「何だかこれって生きづらいよね。」ってことによく出会う。間違っては無いんだけど、制度の限界もあるんだろうけど生きづらいのは嫌だ。僕はこの先も笑って居たいし、僕を頼ってくれる人もその家族にも笑っていて欲しい。僕はあまり『無条件』で施すということはしない。その子なりの『一生懸命さ』を感じた時には心底応援する。だからこそ、自分の価値や考えが偏り過ぎないように常に考え、動いて、発信している。そういう場所がMy Placeなのだと思う。

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