少し思い出話を書こうと思う。
高校生の確か1年の時、僕は高校の三者面談を受けた。
担任の先生は、それなりのおじいちゃんの数学の先生だった。当時そこまではっきりと思い描く進路が無かった僕は特に勉強する目的も無く、しかも予想以上に難しい高校の勉強にやる気は皆無だった時代だ。別に勉強をしていないわけではないのでそれなりにテストの点数は取れてはいたが、まぁ悪くは無い程度だった。
そんな中、「おい、池田鉄は熱いうちに打てって言うやろ?」先生は言った。
「いや、俺そんなん言わん。」僕は反発する気持ちも無く普通に答えた。
「言うんや。」先生はちょっと呆れている。
「だって俺鉄とか使うこと無いもん。」本気でそう答えていた。当時、僕はこの程度の言語力で自分は勉強が出来ると思っていたのだ。笑
「物のたとえや。鉄は熱いうちにカンカン叩くと良い刃物が作れるって話や。お前も今のうちにまた気合入れて勉強したらグッと成績上がるから頑張ってみ。」
「はいはぁい。頑張りまぁす。」僕はヘラヘラしながらその懇談を終えた。
そして、そのまま僕はたいして強いわけでも無いラグビー部に時間を使い、家に帰っては睡眠。授業中も睡眠。そのまま行く大学も無く浪人生になった。
しかもこれまたダサいのは浪人生になったからと言って、とりあえず予備校には行くものの運転免許は取りに行くは、大学生になった友だちと遊ぶはでそこまで勉強に没頭することは無かった。そう考えると当時から僕の鉄の温度は一切上がることは無かった。
だけれど、僕は何やかんやと『教師』である道を選んだ。
学校が好きだったか?友だちが好きだっただけだ。勉強が好きだったか?自分でやってわかる範囲のことだけだ。僕の人生にまともにキラキラした学校生活は浮かんで来ない。僕は昔から『自由』を愛している。
ただ、そんな僕はなぜ『自由』を手に入れることが出来たのだろう?
僕は『教師』になって以降『教育者』としてやっていくにあたってこんなことばかり考えるようになった。
僕が『自由』に生きれた理由は完全に『周りの環境が良かった』としか言えない。
家族、友だちが僕の自由をただただ受け入れてくれたということに尽きると思っている。要するに僕は恵まれているだけだ。だからこそ、僕は僕だけが得ることの出来た特別な環境を出来る限り提供したいと言う想いをもって『教育』に励んでいる。
僕がやりたいと言えば、すぐに飽きることもわかっているのに可能な限り与えてくれた親のように『チャレンジしたいことは可能な限り応援する仕組み作り』をし、寝たい時には寝て、勉強はしたいようにやり、話したい時に話を聞いてくれた親のように『一緒に付き合う文化』を作り、自分の生活がどれだけ変わろうが一緒に生活を楽しんでくれる奥さんのように『頑張ろうとする子どもがより笑っていられるように色々なサポート』をする。僕がしたい『教育』は徹底した『支援者』になることだ。
朝4時40起床。僕は今日もうちに来る子どもたちの希望者とオンラインの自習室を開いている。強制はしない。頑張りたくないならやらないでも怒るつもりは無い。それでも僕はこうして『応援』し続ける。突き詰めれば大人に出来ることなんてこれくらいしかないのだ。
そういう意味では、僕は今仕事をする上で毎日『熱い鉄』を打ち続けることが出来ている。『熱い時だけ頑張る』なんて僕の生き方とは違う気がする。ずっと『熱い鉄』で居られるような人生を選び取っていきたい。
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