家庭学習応援施設My Place。何とも長い名前だ。自分で付けておきながらたまに僕は長いなと思う。
でも、ここに込めた『想い』は今も変わらず、下手をすると名付けた時よりも強く心の中に秘めている。
以前にブログにも書いたのだが、今日は少し詳しくここに込めた『想い』を文章にしたいと思ったので書いてみる。少々暑苦しい記事にはなるけれど、本音で書いていくので許して欲しい。
いつもメッセージはここから
僕は学級通信のタイトルを歌のタイトルから名付けることが多かった。理由は簡単で僕の退屈な説教よりも断然プロの作った歌の方が印象的に子どもたちにメッセージを伝えてくれるからだ。
自分の次の人生を賭ける一歩目の『名前』いつも以上に吟味した。僕が今まで聴いてきた数々の大好きな曲。その中でも僕が新しい仕事場を開くに当たって一番ピッタリな曲。考えるだけでも難しい。
僕は小学校という職場でそれなりにたくさんの子どもたちと出会ってきた。そして、その周りにいる家族とももちろん出会ってきた。一緒に働く仲間の中にもたくさん良い人たちが居た。
そんな素敵な人たちがいつも『闇』に引きずり込んでくるヤツがいる。
『忙しさから来る余裕の無さ』だ。
どれだけ愛情深い素敵な人たちも『余裕』が無くなるといつもの良さが出せなくなる。受験によるプレッシャーもそうだろうし、仕事で期待に応えたいという気持ちもそうかもしれない。
だけれど、そもそも『余裕』が無くなるほどやらなきゃいけないことって本来そんなにたくさんあるのだろうか?『自分』を大切にするということは本当に『甘え』や『自分勝手』なのだろうか…きっと違うだろうな。
僕が教えられることは少ない
僕は教師だった頃、子どもたちにこんなことも教えたい、気付かせたい、伝えたい。という想いが強くあった。色々な仕掛けや仕組みを作って『きっかけ』を提供し続けたがそれでもほとんどは何も起きずに消えていった。
なぜか?求められていないからだ。
大量の文字を読まないと情報が得られない。情報が得られないと生活が止まる。そういう経験をしてこそ『文字を知ること』を求める。でも、そんな経験したことも無い子どもたちにいかに気を引こうとも、道徳的に説こうとも、一定数「どうでも良い」という子が生まれてくる。そういう雰囲気はだんだんと周りに伝わり全体が嫌な空気になることなんてよくある話だ。学校という場所は、良くも悪くも『平等』を重んじることで一瞬で全体の空気を潰すことは簡単なのだ。声の大きいものがルールメイカーになる。
『自分が大切にしたい場所』子どもでも大人でもそういう場所を心にきちんと持っておくことは絶対にこれからの社会では強い。
どこどこ小学校の誰々先生から教わりました!といくら言ったってこの忙しくて課題の多い世の中を切り開いていかなくてはいけない。これから持つべきは『中学の時はできた!』とか『高校の時は優秀だった!』なんていう安心感ではなくて、ずっと持ち続けられる『繋がり』だと僕は感じた。
My Placeという場所はそれぞれにとって『価値』のある場所でないといけない。逆に言えばそれぞれが動かない限りは『価値』は生まれない。そう仕組んでいる。世の中と全く同じ仕組みだ。目の前にある『材料』を使ってじっくり『自分の居場所』を作りあげる。そういう『チカラ』を学べる場所ならこれから一生需要のある『教育施設』としてあり続けられるに違いない。という『想い』から『My Place』という名が付けられた。
何か人と違う選択をするとずいぶんと責められる時代がやってきている。下手をすると責めても来ないで距離ばかり取られるだけだったりもする。だけれどこれからの世の中は間違いなく『コミュニティ』を持っている人が安心して生きていける世界になってくる。表面的な学力はいつでも育てられる。だけれど本人が動かない限りは育ちもしない。テストがあるから、受験があるからという理由では『人生』のための学びに持っていくことすら難しい子もたくさんいるだろう。
こういう『想い』からそれぞれの一歩を首を長くしながら待ち続ける場所を作ってみたわけだ。
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