みなさんは、三角形の合同条件が言えますか?円周の長さの求め方は?扇形の面積の求め方は?球の体積の求め方は?
恐らく、多くの大人が「あぁ、そういえば中学生の時にやったやった!その時は覚えていた。」という感じなのでは無いでしょうか。もしかすると早々に離脱してやることすら辞めたままになっていたりもあるかもしれません。
ただ、そもそもそれで良いのでしょうか?もちろん、使わないことは人間「忘れる」ので当たり前のことです。ただ、僕らは当分字を書いていなくてもおよそ日常お手紙を書く程度の漢字は使えます。おそらくひらがなやカタカナは使えるでしょう。そして読めます。久しぶりに自転車に乗ってもある程度は乗れます。
つまり、何が言いたいのか?中学生の学びは義務教育なのに忘れたまま、知らないままで良いのでしょうか?
今日はそんな記事を書こうと思います。
大人になったら使わないから…
『教育』を生業にしているとよく「学校でやるようなこと社会では一切使わないから」という言葉を耳にします。ただ、部分的には賛成できるものの本当にそうなのだろうか?と疑問に思うこともあるのです。
例えば、日本の識字率は99%などと言われています。これはまぁ先進国と言われるような国では当たり前だと言えることなのかもしれませんがまだまだこれが当たり前で無い国もたくさんあります。つまり、この識字率の高さは『学校でやること』のおかげなんですよね。もちろん、子どもや人によって学びの到達点は違っても良いと思うんです。だからと言ってそれを正当化するために『必要ないこと』をやっているという表現は僕は嫌いです。
問題はどこにあるのか?
僕が考える問題は、多くの人たちの学ぶという行為が『覚える』ということに終始してしまって、定期テストや受験が終わったら下手をすると「やったけ?そんなこと」くらいになってしまっていることだと思うんです。
タイトルにも書いたように覚えたことは忘れます。だけれど、僕らはひらがなもカタカナも認識できていますし、当たり前に使います。コンパスで円も描けますし、赤と青を混ぜると紫になることを知っています。
公式をとにかく覚えて、その後必死でそれに数字を当てはめる。これで取れた点数が本物かどうかは『数年後』にわかるのです。
実は、小学校、中学校で決められている学習は『社会で起こる色々なこと』の基礎になっていることが多いんです。ただ、大人になるとわかるけどきっと中学生の時にはそこまでの前提知識や経験って無かっただろうなと思うこともあるんです。
何が言いたいか
結局僕は小中学生、高校生のうちに覚える一辺倒、とりあえずよくわからなくても繰り返し覚えてテストで点数取れれば良いんじゃない?大人になって「あ~やったやった。(ほとんど忘れたけど…)」というような学び方はもう終わりにして大人も忘れているならもう一回中学くらいまでの知識はやり直した方が良いよねって文化を作りたいなと思っています。
僕が思うに小中学生の学んだ内容で一番使える場面って「我が子に説明してあげられる」ってところだと思うんです。そのためには部分的な記憶じゃなくて「あぁこれはこういうことだよ。一緒にやってみよか。」と言ってやることが出来ればめちゃくちゃ使えません?忘れることは何も悪いことではなく、そこを見つめ直さずそれでも「小中学生はテストがあるんだから勉強しろよ!!」と押し付けることが問題だと思うわけです。
ということで先日アルバイトの子たちに『大人に向けた中学生のお勉強を教える会』やろうぜ!となりました。何だかこれが学ぶってやっぱり大事だよねって文化作りに繋がるかなと思っています。ご興味があれば是非ご連絡ください。
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