それってホンマなん!?

学校

 気付けばブログがご無沙汰になっていました。

 クラウドファンディングも無事終わり、現在執筆を始め何とか2万字を越えだいぶとリズムが出てきたのですが、今日のテーマは書きたい!と思った時に書いた方が良いテーマなので書いておこうと思って書き始めています。

 今日は『それってホンマなん!?』というテーマで書こうと思います。

『社会に出たら通用しないよ。』

 学校にまつわる相談が増えています。これは決して学校が良くないという話では無くて、「学校以外の教育力が社会から消えているから学校任せでは無理だよ!」って話です。

 とは言え「家庭の仕事サボってんじゃねぁ。」って話でもないです。単に社会の様子が変わったのに昔の形のまま生きてもしんどいからみんな一度立ち止まらないかい?という話です。

 本題に入ります。

 僕はよく中学校の時「そんなの社会に出たら通用しないぞ!」という指導を耳にしていました。

 自分に対して言われたこともありますが、まぁ僕は結構要領がいいのでシレッとその辺は避けて通り、友だちが罵倒されているのを聞いてきました。

 ただ、結構ニヒルな性格の僕は「それってホンマなん!?」とよく思っていました。

 世の中には、ポイ捨てが多い場所があります。ルール違反をしている人が捕まったり、罰せられたりしているケースの方が少ないからよく目にするワケですよね、きっと。じゃあその人みんなが社会に通用していないか?というと通用しちゃってるんですよね。

 僕が小学校で働いていた時にも修学旅行のお土産を買う時間に商店街で物を食べて良いか?という話を職員でした際に、「子どもが食べ歩きするのはみっともない。」という意見が平気で出てきたんです。でも商店街では下見で見に行った時にもたくさんの大人が食べ歩きをしているんですね。僕はそれを見て「みっともねぇなぁ。あんな大人になりたくないな。」なんて全く思わなかったんです。

 話を戻します。

 つまり、この『社会に通用する』って基準ないよねって話なんです。

 そして、冷静に俯瞰すると中学校とか高校(僕の通っていた高校はルールゆるゆるでしたが…笑)で通用しないことって案外社会の方が優しいから通用するよってことだと思うんです。

 社会でネチネチ言い続ける人が居れば証拠揃えてハラスメントで訴えることも出来るし、権利を主張したり、居場所を変えたり、案外学校よりも社会の方が色々な工夫や生き方が通用しているんですよね。

『お友だちの目もありますから…』

 もう一例紹介します。

 最近、通常学級にいるお子さんが特性や現状に対して『合理的な配慮の提供』が得られないという話をよく耳にするようになりました。家庭によっては児童発達に関わるお医者さんへの相談も繰り返している方もいらっしゃるのですが、甘えやワガママだと終わってしまうことが多いように聞きます。

 これに関しては、法律も整備されているので知らないだけでこういった乱暴な対応をしちゃうと先生たちも立場が怪しくなってしまうのでなぜこういうケースを繰り返すのかは疑問が残りますが何よりよく耳にするのが「周りの子と違う対応をすると周りの子がそれについて何と言うか…」と合理的配慮を提供しない理由をなぜか他の子どもに責任を押し付けるということも聞こえてきます。

 ただ、そもそも論ではあるのですが、宿題にしろ、ノートの取り方にしろ、授業に取り組むルールにしろ、学校教育で起こる様々なルール違反は『ルールが変わればそもそも存在もしない。』ということが結構あります。

 例えば、マス目から文字がはみ出してしまうのでマス目の大きなノートに変更すれば確かに目立ちます。文字の練習が面倒だと感じてる子にとっては「アイツだけ文字が少ない!ズルい!」となりますが、一番大事な目的は『それぞれの子の持つ力がやり始めた時よりも伸びる』ということだと思います。なので、身長も体重も生まれた月も手先の器用さも運動能力もバラバラな子どもたちを管理するために敷いていたルールは一度見直すタイミングがきているのでは無いかなと僕は思っています。

世の中は結構優しい!

 もし、このブログを読んでいる方に同じ経験をしている方がいれば是非知って欲しいことがあります。

 世の中は結構人に優しいということを。

 例えば義務教育の9年間、ルールに適合せずに罵倒され続け、SOSを出し続け「世の中は優しくない」と刷り込まれてしまうとしたらその方が僕は危険だと思っています。

 もし、目の前の大人がそういう乱暴なことを言う人ばかりなら、『離れてみる』というのも大切なことだと思います。きっと助けてくれる人や社会はこの世界にはたくさんあると思いますよ。

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