最近アルバイトのスタッフと雑談をしていて面白い気付きがあったので紹介したいと思います。
彼の呟きの趣旨はこうでした。「学習塾だと合格者数、点数みたいに成果がわかりやすいからアピールしやすい。でもそっちにMy Placeが向かっていく必要は無いと思う。目の前の子が変わったなってのもわかる。ただ、My Placeはどこに向かうかは子ども次第だからこの成長や変化がわかりづらいのはこのままでええんかな?」とのことでした。
彼なりに今目の前にいる子どもたちのことを真剣に考えるからこその言葉で正直ありがく感じました。
確かに僕たちは、やってくる子どもたちに責任と自由を手渡しながら色々と関わりながら成長を応援する姿勢を取り続けています。その結果として、勉強をしないからという理由で辞めていった子が多くいるのも事実です。勉強をしない、来たとしてもドリル学習を繰り返して質問もしない、すると次第に足が向かなくなる子もいました。人は目標やゴールが明確でないと頑張らないんだという考え方もよくよくわかります。僕だって今真剣に教育のことについて様々な角度で知識を付けたり、行動したりする源泉は、仕事だからであり、もっと稼いでいく必要があるからです。
僕は何日か悩んでいました。
すごく安直な答え方をすれば、僕たちMy Placeは読み書き計算に関わるような認知的な能力では無く、コミュニケーション力や前向きな心の在り方など非認知的な能力を伸ばしているんだと流行り言葉で固めてPRすることはできますが、受験勉強や教科教育のスペシャリストはそれを通して確実に非認知の能力にもアプローチしています。
昔僕が教師だった時の話ですが、ある先輩が「やっぱり特別支援教育をもっとちゃんと学ばないとみんな痛い目に合う!」と強めの発言をしていたことがありました。それを聞く定年間際の先輩が「うーん。そうなんかな?何でもかんでもそう取るのもなぁ。うーん。」と何ともピンと来ないような様子でした。ただ、この大ベテランの先輩は確実に僕から見れば特別支援的な配慮みたいなものもきちんとしているのです。
そしてよくよく観察していて気が付いたことがありました。その大ベテランの先生は人権教育に熱心だったのです。別に特別支援の知識や配慮よりもうんと前に子どもたち一人ひとりへの人権意識でしっかりと支えていたのです。
話をもとに戻します。僕たち家庭学習応援施設My Place、そして特定非営利活動法人ONE LOVEの掲げる教育は子どもや親、そして先生の数だけ正解があります。だからこそ、支える、応援する立場を常に取っています。目の前の子が勉強をしないなら、なぜ勉強をしないのかを考えます。とりあえず後で困らないようにと一時的に強制的にさせたって長い人生においてはあまり役に立たないと感じているからです。大人になった時に逃げたいくらい嫌なことを無理やりさせられる場面はそう多く無いですし、そもそも僕はそれに歯を食いしばって乗り越えるものだとした結果が、自殺、過労死、精神疾患などに繋がっているのではないかという自分の体験と似たような経験を目の前の子どもたち、そしてこれから出会う子どもたちにして欲しくないと心の底から思っているからです。
そして、色々考えた時にふと冷静になり気が付いたことがあります。幸せなことに僕の目の前にいる子どもたちは笑っていることが多いんです。もちろん、これを全員にすることが出来ていないことや笑っていればそれでいいというわけでは無いのはわかっています。でも、今我が子は毎日学校が楽しいと笑っています。毎日友だちと遊んで笑っています。そして、My Placeに集まって来る子たちも多かれ少なかれ楽しそうに笑った顔を見せてくれています。
僕はきっと人よりたくさん教育に関する悩みの相談を受けています。笑えなくなった、笑わなくなった人を支える人の声もめちゃくちゃたくさん聞いてきましたし、とても暗い表情で僕のところにやってくる子はいます。先の見えない世の中で猛スピードで変化する現代社会、子どもたちはサインをくれます。ある子は勉強を全くしないという形で、そしてある子はネットやゲームを手放さなくなるという形で、無気力に見える子もたくさんいます。でも、僕たち大人はそれを目の前に本当にやるべきことをやっているのでしょうか?数十年も変わらない授業スタイル、学校環境はしょうがないものとして声をあげず、建設的な議論もせず、禁止や規制で自由を奪い、ボロボロになった人に向かって「頑張れ!努力しろ!」と声を掛ける。僕はそういう社会を少しでも前に進めるために教育という仕事に夢中になっています。結果的に僕はアルバイトの子を満足させるような基準や指標は提示できずに終わっています。でも、目の前にいる子どもたちが明日もまた笑ってくれる教育の場を維持しておくことをとりあえず当面続けていようかなと思っています。
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