『体験活動』から見えたMy Placeの目指す方向

子ども

 夏休みは週に2日小学生の体験学習を取り入れている。重曹とクエン酸を混ぜて炭酸水を作ってみたり、入浴剤の発砲を使ったペットボトルロケットを作ってみたりと普段はあまりやらないだろうことをやってみている。まだまだ8月も毎週2回はこうした取り組みに時間を使うつもりだ。本当は日頃からこうした活動を定期的に行っていきたいのが本音ではあるのだが、予算、人手、時間の関係でこの夏休みくらいしか出来ていない。だが、やってみて間違いなく「僕たちの大切にしたい教育はこっちにある!」と思えたのでここにまとめておこうと思う。

なぜ『体験』学習に意味を見い出すのか

 体験活動の最大のデメリットは何だ?準備が面倒だということと子どもによってはただの打ち上げ花火的な思い出にしかならないという点だと僕は思っている。
 僕もなかなかズボラなタイプなので私生活や学校では『準備や片付け』を面倒に感じてサボっていたのが正直なところだが、実際にやってみたことでやっぱりデメリットよりもメリットが勝ったなと感じたのでその理由を4つ紹介しておこうと思う。

①具体から学ぶ発達段階

 小さな子どもはとにかく「やってみる」から始まる。僕は、もっとも簡単な『学ぶ』本質はこうの形だと思っている。
 ある子が走るようになる。とことこと走っているとそれだけで楽しい。でも、下り坂はもっと走りやすくて楽しい。どんどんスピードが上がるけどふと転んでしまう。膝を擦りむき、手を擦りむく。するとその子は「下り坂は走るとスピードが出やすいやら危険だ。」と学ぶ。小学校教育の特に低学年の段階ではとにかく『具体』にこだわって内容が決められている。座って並んで全部説明を聞いてからさぁどうぞというやり取りや「よくわかんなくてもこのテクニックで出来るからマネしなさい!」は小学生や学びが定着しにくい中学生にはオススメは出来ない。

②記憶に残る可能性

 人間は忘れる生き物だ。どんどん忘れる。なぜか?新しいことを覚えておく必要があるからだ。ではどんなことが記憶に残りやすいか?間違いなく『特別な場面』だろう。最近それすらも表現できない子がたくさんいる。つまり、『これってどんなもの?』『今日ってどんな日?』という質問に対して上手く返せないのだ。
 「うちの子、学校のことを聞くと『別に。普通。』としか返さなくて…」と心配する声がよく聞こえるが、僕はこれはテストの点数よりもよほど気にした方が良い問題で、質問を変えてでも引き出す努力を大人がすべきでは無いか?と思っている。YouTubeやゲーム、インターネットなど刺激の強い情報を膨大に受け続けている子どもたちには『日常の些細な違い』は無いものとして記憶されない。記憶に残らないような毎日を楽しいと思うか?想像すればその答えはすぐにでもわかるだろうと思う。

③共有体験を共通言語へ

 記憶に残ってくれるような『共有体験』を作ることが出来れば僕たち『教育者』にとってはチャンスだ。あとは日頃の会話や他の勉強の時に「要するにこういうことだよね。前にやったあれってこの単元でやっていることと一緒だよね。」とさらに『学び』を自分事に引きずり込むお手伝いが出来るワケだ。
 僕が教師時代、しきりに「自由とは何だ?」と投げ掛けるようにして関わった6年生のクラスがあった。掃除場所を固定せずにクラスの担当場所だけを指定して端からピカピカにしておいでと投げ掛けてみたり、席替えを辞めていつでもどこでも自分の学びが高まる場所へ行って良いというルールを設定したこともあった。するとやはりキレイにズルする子や誤魔化してくる子がいる。そういう姿を体験させて、共有させることで、自分の意志の弱さやサボってしまう心に出会わせる。そして『自由の責任』という言葉を体感的に学ばせることで『共通言語』を作り出していた。

④語りシロを増やす

 そして何より大切だと感じているのがこの『語りシロ』を増やすという点である。時代は覚えたことの量や処理したことの多さだけでやっていける世の中では無くなってきている。そういった単純作業は今後どんどんロボットに引き渡されて人間には『この世の中から、あなたの人生から、あなたは何を引きずり出して来れるの?』という形に完全に切り替わろうとしている。
 去年、何人かの高校3年生の進路に関する志望動機や志願書のお手伝いをした時にもかなり感じたが、子どもたちはすぐ自分たちにもっともらしい下駄を履かせようとする。そんなスカスカな言葉自分の信用を落とすことに繋がるから辞めた方が良いと話してもすぐにもっともらしいキレイな言葉を並べようとする。だけど、大学や社会が欲しいのは見た目の数字や高い順位では無い。結果だけを求めるなら1位しか必要は無い。たった数人しか合格させることの出来ないレースにおいて聞きたいのは数値や順位では無く、その人が肌で何を感じ、自分の中にどんな『データ』を残したのか、その子の『語りシロ』なのである。どんなに簡単な出来事であっても『その人にしか見えなかった世界』が語られていれば人は耳を傾ける。体験活動は僕たちにそんな光を見せてくれた。

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