僕がクラス遊びを辞めた理由

学校

 僕が教師になって一番最初に驚いたのは、『クラス遊び(みんな遊び)』という活動が多くのクラスで実践されているということだった。
 簡単に言うと、ある曜日のある時間には基本的にはクラス全員で同じ遊びをしましょうね。という取り組みである。僕も教師を始めた最初の数年は、「まぁ、子どもたちも楽しんでるようだし、他の先輩のクラスもやっているしこれも自治なのかな…」くらいに思っていたが、年を重ねる毎にこの取り組みの問題点を感じるようになり、「クラス遊びを制度化することは辞めよう。」と言うようになった。

1.そもそも最初の年から疑問だった…

 僕が教師になって最初の年の4月、右も左もわからない状態で出勤し始めて一週間くらいで4年生の担任としての生活がスタートした。
 4月の始めというのは何年経ってもとってもバタバタするのだが、初めてのクラスとなると余計バタバタしていたことを覚えている。
 そんなある日、クラスの子どもが、「先生、クラス遊びはやらないんですか?」と言ってきた。僕自身、その制度を聞いたことも無かったので、子どもたちに概要を聞き、他の先生方にもなぜ採用しているかを聞いた。
 ある先生は、「今の子どもたちは『繋がり』を持つことが苦手だから…」と言う話を教えてくれた。
 子どもたちは、『遊び』に関してはやたらとやりたがるので、「やりたい!!」という意見は当然多かった。
 ただある子は、たった一人になっても反対していた。
「みんな仲良くなるためとか言うけど、休み時間はそれぞれの自由な時間だし、やりたいことをやるべきだと思う。それに何やるかで揉めたり、ルールのことで揉めたりで今までの学年でやっていたのだって楽しかったことがない!」
 僕はたった一人でもこんな風にはっきりと意見を言える子が居たことに面白くてしょうがなかった。何度か話し合ったって、議論ではこの子を越えられない。でも、「やりたい!やりたい!」と声をあげている子は、面倒なやり取りを嫌う子がほとんどだ。その子を正しく説得しようという風にはなかなかならない。
 結局その年の結論は、「まぁじゃあやってみて楽しかったら続ければいいし、揉めてばかりなら辞めればいいんじゃない?」となった。

2.共通する課題

 何年か教師を続けていて毎年、子どもたちから要求があれば一緒にルール作りをしてから取り組みを開始するということを重ねていたが、何年かやっているとどの年にも共通する課題が見えてきた。
・自分勝手な子ほど仕切りたがる
・遊びに参加していなくても成立してしまう
・分散する多数決なので、結果違う遊びをしたい子の方が多い
・高学年は忙しくて、クラス全員が揃ってできる余裕が少ない

 毎年、こういう姿を眺める中でふと僕の頭に浮かんだことがあった。
 本来の『信用』が反映されていないので、正しく『人間関係』を築く能力の育成に繋がっていないのでは?という疑問である。
 本来、子どもの生活であっても『信用』は重要である。別に周りの友だちにばかり気を遣うことが重要ではないが、『自分』も『相手』も大切にする生活の繰り返しによって『信用』が積み重なっていくはずだ。
 「コイツの頼みなら頑張って手助けしたいな!」と思わせる力も才能だと僕は思うし、そういうリーダーシップフォローシップを小学生の段階できちんと学んでおくことは将来確実に役に立つ。
 「〇〇したい子この指止まれ!!」とか言いながら友だちを集めていける力『巻き込む力』は、インターネットによって全国民がある程度の発信力を持ち出した現代においては、『人』の心を上手く掴む技術としてすごく大切だと思う。
 つまり、遊びとは言え、制度によって一番難しい『集客』の部分を経験せずに「みんなで遊ぶと楽しいな。」で終わってしまう子を育て続けることが結果将来「みんなで何かを経験することの難しさ」を理解しない子に育ててしまうような感覚があったのだ。

3.温故知新じゃないけれど

 僕は何もかも昔の慣習のまま残すことは決してよくないと思っている。
 ただ、便利なものは取り入れつつも、『昔』から続けられているものでも、『現代の社会』に役立つものがあるのではないかと僕は思っている。
 『クラス遊び』という制度によって一見『一人ぼっち』に見える子はいなくなる。ただ、現実には『同じ場』に居て『同じことをする』ことが『繋がり』を生むわけではない。
 それぞれの『自由』は保障した上で、「みんなで遊ぼう!!」と声を掛ける子が出てくることは望ましいことだ。もちろん、放っておけばこういうやり取りに上手く「入れて!」と言えない子だっているだろうし、人と関わらないことばかりを選ぶ子だっているかもしれない。
 そんな時こそ、『子どもの成長するチャンス』と眺めながら、『場』や『きっかけ』を無数に転がすことこそ教育者の役割じゃないかと思っている。
 自分の「この指止まれ!!」に人が集まらない現実を受け止めた上で、普段の生活での自分の行いや人の巻き込み方を学ぶ。それこそロボットに負けない『人間の強み』なのではないかと僕は思う。

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