いかにグラデーションを認めるかに懸ける

学校

 家庭学習応援施設My Placeは自分で言うのも不思議な話だが、とっても変わった『教育施設』だと思っている。学習ももちろんサポートするし、遊び相手にもなる。体験活動を提案したり、喋り相手になったりもする。どの子にとっても必要な場所では無いかもしれないが、どんな子にとっても使い道はある。そんな『場所』を作りたくって作ったというのが一番の想いだ。

 僕はここにも何度も書いてきたことだけど『学校』で働くことが好きだった。子どもたちが放っておいても集まってくれて、毎朝勝手に一日が始まっていく。当たり前の業務をしても労いの声を掛けてもらえるし、年に2回も安定したボーナスが手に入った。比較的有給も取りやすい自治体で夏休みなんて毎年10日以上休んでいたし、冬休みにも1週間以上休んでいた。ただ、そんな恵まれた仕事をしていてもだんだんと自分の中に『違和感』が広がっていった。

 これは『学校』だけに言えることでは無くて世の中全体に言えることなのだが、『グラデーションが許されない』という部分に対する違和感だ。
 学校は行くべきか?行かないべきか?
 男か女か?
 指導か?体罰か?
 いじめか?じゃれ合いか?
 発達障害の診断が付くのか?付かないのか?
 などなど、二者択一であるべきではないことや答えの出ないことまでせっせと答えっぽいものに置き換えようとする風潮にすごく疲れてしまったという部分があった。
 こうした風潮は子どもの生活にも見られた。
 勝利至上主義の部活動か?何でもありののんびり部活動か?
 言われたことをとにかくこなすか?何でもかんでも反発するか?
 学校が大好きか?学校が嫌いか?

 世の中にははっきりしないことはたくさんある。はっきりさせる必要が無いことだってある。何でもかんでも意味を持たせようとしなくても『何となくいい感じ』ってことだって世の中にはたくさんあるはずだ。

 僕らは『教育』に携わる以上『人間』の人生に関わる貴重な機会をいただける。でも、正直僕らにも『迷い』はいくらでもある。悩みながら毎日を送っている。絶対の答えがあるなら今すぐにでも教えてやりたい。だけれどそんなもんは無い。だからこそ、未熟で、不安定で、素直で、一貫性が無くて、純粋で、ズルくて、色々な顔を見せる子どもの『グラデーション』を全部一旦受け入れられる場所を作ってみようと思ったわけだ。
 My Placeの利用価値や存在意義をどうこう言うのはもっとあとの話にしていこうと思う。
 

コメント

タイトルとURLをコピーしました