労働者としての『教師』

教育・教師

教師という仕事に、どんなイメージを持っていますか

みなさんは「教師」という仕事に、どんな印象を持っているだろうか。

尊い仕事。大変な仕事。忙しそう。真面目。

どれも間違いではないと思う。

正直に言うと、僕自身は免許を取り、採用試験を受けるまでは、教師という仕事に強い憧れを抱いていたわけではなかった。

子どもと関わるのは嫌いじゃない。興味はある。

その程度の感覚だった。

本気で「教師になろう」と思ったのは、新卒で入社したトイザらスを辞める直前のことだ。

勢いもあったし、ある種の直感でもあった。

そして、なってみて初めて気づいた。

教師という仕事が、社会の中で「想像以上に尊ばれている仕事」だということに。


尊敬と敵意が、同時に向けられる仕事

校区に住んでいたこともあり、地域で生活していると、知らないお年寄りから声を掛けられることがよくあった。

「先生だったんですね。いつもご苦労さまです」

悪い気はしない。むしろ少しくすぐったい。

同時に、「あぁ、こういう価値観がまだ残っている時代なんだな」と感じることもあった。

一方で、真逆の反応を向けられることもある。

「教師は税金で給料もらってるんやから、ちゃんと働いてもらわな困る」

「俺らは高い税金払ってんねんから言うこと聞け」

そう言われたことも一度や二度じゃない。

内心では、「給与は労働の対価であって、主従関係じゃないんやけどな」と思っていた。

教師という仕事は、尊敬と攻撃が同時に向けられる職業だ。

このアンバランスさは、実際に中に入ってみないと分からない。


僕が教師を辞めた理由は「逃げ」ではない

僕は教師を辞めた。

でもそれは、「しんどかったから」「大変だったから」ではない。

むしろ、教育について考えることは、めちゃくちゃ面白かった。

子どもが変わっていく姿を見るのもやりがいがあった。

それでも辞めたのは、教師という立場では、どうしても言えないこと・変えられないことが多すぎたからだ。

7年半働く中で、学校現場の不思議な慣習や文化に、何度も違和感を覚えた。

声を上げたこともある。

でも、ほとんどの問題に対して、僕たち現場の教師には決定権がなかった。

教師は公務員だ。

上からの方針には基本的に逆らえない。

それが校長レベルの話ではなく、もっと上、もっと大きな構造の話であることも多い。

僕が感じた教師労働の問題は、個々の教師の怠慢ではない。

明らかに「システムエラー」だった。


教師を責めても、教育は変わらない

担任の先生に不満を持つ保護者の気持ちは、よく分かる。

でも正直に言えば、一人の教師を責めても、教育はほとんど変わらない

たとえば、スーパーの試食販売を思い浮かべてほしい。

配り方が気に入らないからといって文句を言っても、その人の給料は変わらないし、サービスの本質も変わらない。

本来吟味すべきなのは、試食を配る人ではなく「商品」そのものだ。

公立学校も似ている。

担任は末端の末端。

見えない事情と制約の中で、必死にやっている人も多い。

本当に議論すべきなのは、

この国が教育にどれだけ人とお金を使う設計になっているかという部分だ。

そこには必ず政治の意向が絡んでいる。


教師も、子どもと同じ「社会の財産」だ

教育について考え、意見を持つこと自体は、とても健全だと思う。

無関心より、ずっといい。

ただ忘れてはいけないのは、子どもがこの国の未来を支える財産であるのと同時に、教師もまた、日本にとって大きな財産だということだ。

教師という立場では言いにくいことが、確かにある。

僕は、その内側を知っている一人として、今は「社会の側」から発信できる立場にいる。

誰かを打ち壊すためじゃない。

もう一度、みんなで教育を考えるために。

教師を辞めた今も、僕は教育から離れたつもりはない。

ただ、立つ場所を変えただけだ。

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